仲村渠致元 仲村渠 致元(なかんだかり ちげん、1696年9月15日(尚貞王28年8月19日) - 1754年8月6日(尚穆王3年6月18日))は、琉球王国の陶工。琉球焼(英語版)中興の祖とされる。唐名は用 啓基。 概要[編集] 那覇・泉崎にて、代々陶工の家系に生まれる。王府の命により1724年に八重山に渡り、陶器の製法を伝える。また、1730年には薩摩藩に渡り、薩摩焼や朝鮮焼などの陶法を学び、帰国後窯を開き、白焼陶器を広めた。晩年の1752年に、功績が認められ士族に列せられた[1][2][3]。 脚注[編集] [脚注の使い方] ^ 仲村渠致元 - 『最新版 沖縄コンパクト事典』琉球新報社、2003年3月(琉球新報ウェブサイト)、2017年6月30日閲覧。 ^ 仲村渠致元 デジタル版 日本人名大辞典+Plus - コトバンク、2017年6月30日閲覧。 ^ 新城俊昭『教養講座 琉球・沖縄史』編集工房 東洋企画 p. 177 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集