アラン・スプロール
アラン・スプロール | |
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第3代ニューヨーク連邦準備銀行総裁 | |
任期 1941年1月 – 1956年6月30日 | |
前任者 | ジョージ・L・ハリソン |
後任者 | アルフレッド・ヘイズ |
個人情報 | |
生誕 | 1896年3月9日 カリフォルニア州サンフランシスコ |
死没 | 1978年4月9日 (82歳没) |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身校 | ニューヨーク大学ロースクール カリフォルニア大学バークレー校 |
アラン・スプロール(英語: Allan Sproul、1896年3月9日 - 1978年4月9日)は、アメリカ合衆国の銀行家。1941年から1956年までニューヨーク連邦準備銀行総裁を務めた[1][2]。
生涯
[編集]1896年3月9日、カリフォルニア州サンフランシスコに生まれる。カリフォルニア大学バークレー校を卒業し、ニューヨーク大学からも法学の博士号を取得[3]。 1920年、調査・分析部門のトップとしてサンフランシスコ連邦準備銀行の行員となり、1930年、ニューヨーク連邦準備銀行で副総裁補 (assistant deputy governor and secretary)となる。6年後、新設された第一副総裁の役職についた。
米国史における有数の銀行家として通貨問題の解決に業績を残した。1942年、ニューヨーク連邦準備銀行が連邦公開市場委員会の構成銀行となると、同委員会の副委員長に指名された。
1956年、ニューヨーク連邦準備銀行を退職しカリフォルニアに戻ると、ウェルズ・ファーゴ銀行の頭取となる。1969年には同銀行親会社の取締役となった他、カイザー・アルミナム&ケミカル社 (Kaiser Aluminum and Chemical Corporation) の取締役も務めた。
1978年4月9日、カリフォルニア州の自宅で心臓発作のため死去した[2]。
脚注
[編集]- ^ “Allan Sproul”. ニューヨーク連邦準備銀行. 2012年10月28日閲覧。 “Allan Sproul spent nearly 36 years in the Federal Reserve System, all but 10 of them at the New York Fed. He served as president from January 1941 to June 1956. He was 44 when named president. ...”
- ^ a b “Allan Sproul, Retired President Of New York Fed, Is Dead at 82. Was Wells Fargo Bank Director”. New York Times. (April 10, 1978) 2012年10月28日閲覧. "Allan Sproul, retired president of the Federal Reserve Bank of New York, who was widely regarded as one of the world's foremost central bankers died of a heart attack Sunday at his home in California. He was 82 years old."
- ^ “Allan Sproul”. FederalReserveHistory.org (リッチモンド連邦準備銀行). 2016年6月7日閲覧。
外部リンク
[編集]- Finding Aid to the Allan Sproul Papers, 1907-1978, bulk 1945-1978 - Online Archive of California(カリフォルニア大学バークレー校バンクロフト図書館サイト)
- Items by or about Allan Sproul FRASER(米国経済および連邦準備制度の歴史に関する情報を集めたデジタルアーカイブ)
公職 | ||
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先代 ジョージ・L・ハリソン | ニューヨーク連邦準備銀行総裁 1941年 - 1956年 | 次代 アルフレッド・ヘイズ |