アンコール遺跡

座標: 北緯13度26分 東経103度50分 / 北緯13.433度 東経103.833度 / 13.433; 103.833

世界遺産 アンコール
カンボジア
アンコール最大の寺院アンコール・ワット
アンコール最大の寺院アンコール・ワット
英名 Angkor
仏名 Angkor
登録区分 文化遺産
登録基準 (1),(2),(3),(4)
登録年 1992年
備考 登録から2004年まで危機遺産に登録されていた。
公式サイト 世界遺産センター(英語)
地図
アンコール遺跡の位置(カンボジア内)
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1 = アンコール中心部, 2 = バンテアイ・スレイ, 3 = ロルオス
使用方法表示

アンコールクメール語: អង្គរ 発音 [ʔɑŋkɔː]: Ankor[注釈 1])とは、ヤショダラプラクメール語: យសោធរបុរៈサンスクリット: यशोधरपुर: Yaśodharapura)とも知られ、かつてのクメール王朝の首都である[1]。現在はカンボジアシェムリアップ州の北西部、トンレサップ湖北岸のシェムリアップの北側に位置する[1]。東南アジアで最も重要な考古学遺跡とされる[1]。この都市にあるアンコール・ワットは、カンボジアで最も人気のある観光名所のひとつである。

1992年ユネスコの世界危機遺産に登録され、遺跡を中心とし修復に努めてきたが、第二段階として2004年世界文化遺産に登録され、今まで危機遺産だった遺跡エリア(ゾーン1)の周りを取り囲むように、ゾーン2エリアを設定し全体で「アンコール遺跡公園」と命名された。コアな遺跡エリアの周りには、アンコールの広大な400万ヘクタールのエリアに、112の村、13万の住民、森、水田、放牧地が広がり、村人の生活、自然環境の保護、景観の維持に取り組んでいる[2]

歴史

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この地には、9世紀頃から数々の王建設が開始された。この遺跡に特に大きく関わったとされるのはスーリヤヴァルマン2世1113年 - 1145年)とジャヤーヴァルマン7世1181年 - 1218年)といわれる。スーリヤヴァルマン2世は特にアンコール・ワットの建設を行い、その死後30年ほど後に王に就いたとされるジャヤーヴァルマン7世はアンコール・トムの大部分を築いたとされる。

しかし、ジャヤーヴァルマン7世が崩御した後のアンコールはアユタヤ朝の進入を度々受けその存在を侵され始め、その後ポニャー・ヤット王はついにアンコールを放棄するに至った。

1920年前後のアンコールで撮られたアプサラダンスの踊り子たち

地図

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主な遺跡

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アンコールに含まれる主な遺跡は以下の通りである。

アンコール中心部の地図

管理団体

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アンコール遺跡はカンボジア政府のアプサラ機構英語版(アンコール地域遺跡保護管理機構)により、発掘修復から観光開発遺産の商品化)まで一手に管理している。

(参照)「Angkor World heritage area tourism-Management-Plan」(PDF) UNESCO apsara national authority 2012年12月

アンコール世界遺産エリア(下記地図):ゾーン1(黄色い網掛け部分)・ゾーン2(ゾーン1の周りを囲むように四角く区切られた赤い網掛け部分)

エリア地図(カンボジア語)

登録基準

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この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
  • (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

これに対し国際記念物遺跡会議は以下のような推薦理由を付けている(要旨)。

アンコール遺跡は9世紀から14世紀にかけてのクメール美術フランス語版のすべてを伝えていて、議論の余地のないほどの傑作である(1)。
アンコールで培われたクメール美術は東南アジアに大きな影響を及ぼし、その過程に置いて基本的な役割を演じた(2)。
9世紀から14世紀にかけてのクメール王朝は東南アジアの方向を大きく定め、当地域で政治的にまた文化的に先駆的な役割を演じた。その文明の遺物は煉瓦や石で出来た豊かな宗教建築に残っている(3)。
クメールの建築はインドの副大陸的な様式から、独自の文化を創造したり周辺の文化を取り入れたりして抜け出すことによって東南アジアの様式との境界線を作った(4)。

脚注

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注釈

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  1. ^ 「首都」の意。

出典

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  1. ^ a b c Ankor”. UNESCO. 2024年7月閲覧。
  2. ^ 「アンコール世界遺産エリア・ツーリストマネジメントプラン」アプサラ・ナショナル・オーソリティ、2012年12月。
  3. ^ a b c ダジャンス 1995, p. 194.
  4. ^ a b c d ダジャンス 1995, p. 195.
  5. ^ Rooney 2011, p. 356.
  6. ^ Rooney 2011, p. 357.
  7. ^ Rooney 2011, p. 363.
  8. ^ Rooney 2011, p. 360.
  9. ^ a b c d ダジャンス 1995, p. 199.
  10. ^ Rooney 2011, p. 320.
  11. ^ Rooney 2011, p. 318.
  12. ^ Rooney 2011, p. 316.
  13. ^ Rooney 2011, p. 314.
  14. ^ 石澤 2002, p. 132.
  15. ^ a b c d ダジャンス 1995, p. 198.
  16. ^ a b c ダジャンス 1995, p. 196.
  17. ^ a b c ダジャンス 1995, p. 201.
  18. ^ Rooney 2011, p. 312.
  19. ^ 石澤 1996, p. 56.
  20. ^ Rooney 2011, p. 250.
  21. ^ Rooney 2011, p. 264.
  22. ^ Rooney 2011, p. 260.
  23. ^ a b Rooney 2011, p. 255.
  24. ^ 石澤 & 三輪 2014, pp. 174, 178.
  25. ^ Rooney 2011, p. 342.
  26. ^ Rooney 2011, p. 343.
  27. ^ "Wat Athvea Temple, Siem Reap Province, Cambodia". Asian Historical Architecture (英語). 2023年9月2日閲覧
  28. ^ Rooney 2011, pp. 352–353.
  29. ^ a b c ダジャンス 1995, p. 200.
  30. ^ Rooney 2011, p. 393.

参考文献

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関連資料

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  • 内田悦生・下田一太(コラム執筆)『石が語るアンコール遺跡』早稲田大学出版部〈早稲田大学学術叢書〉、2011年。

外部リンク

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