アンソニー・ソロモン

アンソニー・ソロモン
Anthony Solomon
第6代 ニューヨーク連邦準備銀行総裁
任期
1980年1月21日 – 1984年12月31日
前任者ポール・ボルカー
後任者エドワード・ジェラルド・コリガン英語版
個人情報
生誕Anthony Morton Solomon
(1919-12-27) 1919年12月27日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニュージャージー州アーリントン英語版
死没 (2008-01-15) 2008年1月15日(88歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク
配偶者コンスタンス・カウフマン
教育シカゴ大学 (BA)
ハーバード大学 (MA英語版PhD)

アンソニー・モートン・ソロモン(Anthony Morton Solomon、1919年12月27日 - 2008年1月15日)は、米国カーター政権時代の金融担当財務次官。1980年から1984年にかけてはニューヨーク連邦準備銀行総裁を務めた。

青年期と教育

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ニュージャージー州アーリントン生まれで、シカゴ大学で1941年に経済学士号を取得、その後ハーバード大学で経済学修士(1948年)および博士号(1950年)を取得した。

キャリア

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政府機関に関わるようになったのは、フランクリン・ルーズベルト大統領によりイランにおける経済問題のコンサルタント職に任命されたことがきっかけだった。おかげで陸軍に徴兵された際には大統領オフィスからの手紙一通で兵役免除となった。1960年代初頭にはジョン・F・ケネディの下でミクロネシア信託統治領の経済調査団長を務めた[1]

ジョンソン大統領時代の1965年から1969年にかけて国務次官補(経済問題担当)、次いで1977年から1980年にかけては金融担当財務次官を務めた。このカーター政権時代には、ホメイニ によるパーレビ追放後のイラン金融資産凍結に深く関与した[2]

1980年1月21日にニューヨークの連邦準備銀行の総裁に任命された[3]

私生活

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2006年のピーターソン国際経済研究所発足時の主要ドナーであった[4]。2008年1月18日、腎不全により死亡[2]

参照資料

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  1. ^ Schudel, M. (27 January 2008.) Anthony M. Solomon, 88; Adviser to 3 presidents on world economics. Washington Post.
  2. ^ a b Hevesi, Dennis (January 19, 2008). “Anthony Solomon, Finance Policy Maker, Is Dead at 88”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2008/01/19/business/19solomon.html 2009年8月20日閲覧. "Anthony M. Solomon, a former president of the Federal Reserve Bank of New York and an influential behind-the-scenes financial policy maker in three presidential administrations and at the World Bank, died Friday at his home in Manhattan. He was 88. The cause was kidney failure, his son, Adam, said." 
  3. ^ Bennett, Robert A. (1980年1月22日). “Federal Reserve Names Solomon New York Chief”. The New York Times. https://www.nytimes.com/1980/01/22/archives/federal-reserve-names-solomon-new-york-chief-most-important-bank-in.html 
  4. ^ Institute for International Economics renamed in honour of founding chairman Peter G. Peterson”. The Peterson Institute (2006年10月24日). 2019年10月20日閲覧。