オリエンタリズム
オリエンタリズム(英: Orientalism、仏: Orientalisme)または逆オクシデンタリズム(英: reverse Occidentalism)[1]とは、東方趣味[2]・東洋趣味[3]・異国趣味[2]。「オリエント世界(西アジア)へのあこがれに根ざす、西欧近代における文学・芸術上の風潮」とされる[3]。反東洋思想ともいう[4]。または西洋の人々が東洋の人々を偏った見方で捉えようとする態度のことを指す。[5]
オリエンタリズムは「世界を西洋と東洋に分けて考える考え方」とも[6]、「二項対立」とも呼ばれる[7]。オリエンタリズムを批判する立場は「『東洋(オリエント)』と『西洋(オクシデント)』といった呼称を完全に否定する、極端な立場」とされている[8]。オリエンタリズムで言う「オリエント」は、考古学や歴史学上のオリエントほど厳密ではなく、ヨーロッパから見た東方世界全体(極東やアフリカ北部含む)を指す[9]。この「オリエント」は「第三世界」ともいう[10]。元来、特に美術の世界において、西ヨーロッパにはない異文明の物事・風俗(それらは“東洋”としてひとまとめにされた)に対して抱かれた憧れや好奇心などの事を意味する。西洋史や美術史などの分野では「東方趣味」「東洋志向」などの訳語が与えられてきた。しかしながらパレスチナ出身のアメリカの批評家、エドワード・サイード(1935-2003)が、著書『オリエンタリズム』Orientalism(1978年)において、今日的で新たな意味をこの言葉に附与した。後者の概念で使われるときには、翻訳ではそのまま「オリエンタリズム」と表記されることが多い。
概要
[編集]サイードによれば「オリエント(東方・東洋)」とは、二分法から生まれた、幻想・想像上の非現実的世界である[11]。オリエントに対する見方や考え方を「オリエンタリズム」と言い、それは長期に渡って継承されてきた思考様式を指す[12]。
オリエンタリズムによるロマン主義的支配
[編集]オリエンタリズムという概念は、エドワード・サイードの著作『オリエンタリズム』(1978年)によって一躍有名になった[11]。サイードはここで、従来に無かった鋭い問題意識と視点に基づき、厳しい批判と考察を行った[13]。
伝統的に西欧で継承されてきた「オリエンタリズム」という概念は、東洋人のイメージとして好色・怠惰、自分の言語や地理等を把握できず、独立国家を運営もできず、肉体的にも劣った存在というイメージを作る[12]。こうしたオリエンタリズムはロマン的・異国情緒的・軽蔑的にすぎず、それは西欧(オクシデント)の文芸や絵画上の流れの一つだった[12]。サイードはオリエンタリズムを、オリエントに対するヨーロッパの思考様式であると同時に、支配の様式でもあると見なす[12]。すなわち「知」と「力」が結合して、オリエンタリズムは支配の様式にもなる[12]。
サイードによればオリエンタリズムの根底には、オリエント(東方)とオクシデント(西方)との間に「本質」的な違いが存在するのではないか、という漠然とした見方がある[12]。そうした曖昧な概念が、一定のイメージや図式等によって表現され続けるうちに、あたかもそれが「真実」であるかのように思い込まれ、それが長い間に人間の心理に深く浸透し強化されて、オリエントへの特定の見方や考え方が形成され、次第に独り歩きを始めるに至った[12]。その結果、オリエンタリズムから自由に現実を見ることはできなくなる[12]。
こうしたサイードの書物『オリエンタリズム』は、東方に対する見方を一変させる「事件」だった[12]。その結果、一方では西洋式近代化への懐疑が起こり、他方では東洋と西洋の相違・類似に関する研究や異文化融合論、人類共生への模索等が議論されるに至った[12]。
オクシデンタリズムとの関係
[編集]「オクシデンタリズム(Occidentalism)」または「逆オリエンタリズム(reverse Orientalism)」[1]とは、オリエンタリズムの片割れ[14]。オクシデンタリズムは「反西洋思想」とも訳されるものであり[15]、西洋の「敵」によって描かれる「非人間的な西洋像」を指す[16]。これは「殺人的な憎悪」であり、憎悪が向かう先は ―― 特定の政策や国家ではなく ―― 特定の生き方・社会・政治の在り方(大都会・貿易・商業・懐疑主義・合理主義・個人の自由等)になっている[17]。オクシデンタリズムの敵意が向けられる代表例は、
- 「都市」:「尊大、貪欲、軽薄で退廃的な根無しのコスモポリタニズム(世界主義)に彩られた」都市
- 「ブルジョア階級」:「自らを犠牲にする英雄[要曖昧さ回避]とは正反対に、自己保身に走る」階級
- 「西洋的考え」:「科学と理性に裏付けられた」考え
- 「不信心者たち」:「純粋な信仰世界のために倒されなければならない」者たち
となっている[18]。
ただしオクシデンタリズムは、「凶暴な憎悪と強い憧れがいかに密接に繋がっているか」を示してもいる[19]。元来の「オクシデンタリズム」は西洋精神・西洋文化、西洋趣味、西洋気質[20]、西洋崇拝[21]、西洋に関する学究的な知識等を指す[22]。
いずれにしてもオクシデンタリズムは、綿密な西洋理解ではない[14]。何故ならオリエンタリズムに見られる、人間から人間らしさを取り除こうとする傾向が、オクシデンタリズムの中にもあるためである[23]。オリエンタリズム的偏見の中には、非西洋人は完全な人間ではなく未成熟的で、自分たちよりも劣った人種として扱えるという前提があった[23]。オクシデンタリズムもオリエンタリズムと同様、相手を人間未満に過小評価する傾向があり、オリエンタリズムをそのまま鏡で逆写ししたものと言える[23]。
議論
[編集]「オリエント」(「東洋」、「東洋的」、「東洋性」)とは西ヨーロッパによって作られたイメージであり、文学、歴史学、人類学など、広範な文化活動の中に見られる。サイードによれば、それはしばしば優越感や傲慢さや偏見と結びつくばかりではなく、欧米の帝国主義の基盤ともなったとされる。このためエルネスト・ルナン、バーナード・ルイス、V・S・ナイポールなども、偏見を広める人物としてサイードに批判された。この批判にはルイスからの反論もあり、サイードの問題提起以降、オリエンタリズムを題材とした研究や論争が続いている。
オリエンタリズムの一種として、「東洋」を ―― または自らよりも「劣っている」国や文化を ―― 男らしくない、性的に搾取可能な「女性」的存在として描く、といった傾向も指摘されている。具体例としては、イメージの一人歩きしているハレムや、ゲイシャ、そして、比較的最近の作品では『ミス・サイゴン』や、ディズニー映画の『ポカホンタス』などにも、オリエンタリズム的な視点が見られる。一方それに対して、反「西洋」的な過激派(例えばイスラム過激派)は、「西洋」を ―― または自らよりも「劣っている」存在を ―― 異教・世俗の「女性」的存在として描くことがあり、これはオクシデンタリズムの一種に分類されている。
オリエンタリズム絵画の作品例
[編集]- 『スルターン』(1747)
シャルル=アンドレ・ヴァン・ロー(1705-1765) - 『ナイル川岸の思い出』(1833)
プロスペル・マリヤ(1811-1847) - 『奴隷のいるオダリスク』(1842)
ドミニク・アングル(1780-1867) - 『ムーア人の踊り』(1849)
テオドール・シャセリオー(1819-1856) - 『メッカへの巡礼』(1861)
レオン・ベリー(1827-1877) - 『砂漠の危険』(1867)
カール・ハーグ(1820-1915) - 『サハラのキャンプ』(1872)
ウジェーヌ・フロマンタン(1820-1876) - 『座っているアラブ人』(1877)
ジャン=ジョセフ・バンジャマン=コンスタン(1845-1902) - 『ヤッファの市場』(1877)
グスタフ・バウエルンファイント(1848-1904) - 『エジプトの市場』(1878)
レオポルト・カール・ミュラー(1834-1892) - 『モロッコの市場』(1880)
エドウィン・ロード・ウィークス(1849-1903) - 『アヌビスの神像の行列』(c.1885)
フレデリック・アーサー・ブリッジマン(1847-1928) - 『夕暮れにラクダを使って耕す農民』(c.1887)
ギュスターヴ・ギヨメ(1840-1887) - 『ハレムの光景』(1895)
ハリー・シドンズ・モウブレー(1858-1928) - 『ハレムのダンス』(c.1900)
ジュリオ・ロサーティ(1858-1917) - 『誘惑』(1906)
ナスレディーヌ・ディネ(1861-1929)
- 『トルコ衣装を着たヴェルジャンヌ伯爵』(1760年代)
アントワーヌ・ド・ファヴレイ(1706-1798) - 『コーヒーを運ぶ女』(1857)
ジョン・フレデリック・ルイス(1804-1876) - 『白い奴隷』(1894)
アーネスト・ノーマンド(1857–1923) - 『北アフリカの室内のグナワ人』(19世紀末)
ルドルフ・エルンスト(1854–1932) - 『ヌビアン宮殿の衛兵』(c.1900)
ルートヴィヒ・ドイッチュ(1855–1935) - 『ハーレムの美女』(c.1921)
アンリ・アドリアン・タヌー(1865-1923)
出典
[編集]- ^ a b Goodman, R. 2005, p. 69.
- ^ a b 松村明編 2017, p. オリエンタリズム.
- ^ a b 松村明監修・池上秋彦ほか編 2017, p. オリエンタリズム.
- ^ 佐藤 2017, p. 117.
- ^ 『現代文単語「げんたん」』いいずな書店、2021年12月1日、152頁。
- ^ 彌永 1997, p. 1.
- ^ 八木 2003, p. 348.
- ^ サイード 1993b, p. 306.
- ^ 久米 2018, p. 「オリエンタリズム」.
- ^ Britannica Japan Co., Ltd. 2018, p. 「オリエンタリズム」.
- ^ a b 長谷川, 上原 & 川上 2009, p. 211.
- ^ a b c d e f g h i j 長谷川, 上原 & 川上 2009, p. 212.
- ^ 長谷川, 上原 & 川上 2009, pp. 211–212.
- ^ a b イアン・ブルマ & アヴィシャイ・マルガリート 2006, pp. 24–25.
- ^ イアン・ブルマ & アヴィシャイ・マルガリート 2006, p. 1.
- ^ イアン・ブルマ & アヴィシャイ・マルガリート 2006, p. 17.
- ^ イアン・ブルマ & アヴィシャイ・マルガリート 2006, p. 233.
- ^ イアン・ブルマ & アヴィシャイ・マルガリート 2006, p. 27.
- ^ イアン・ブルマ & アヴィシャイ・マルガリート 2006, p. 73.
- ^ 小西友七 et al. 2017, p. Occidentalism.
- ^ goo辞書 2017, p. Occidentalism.
- ^ Weblio 2017, p. Occidentalism.
- ^ a b c イアン・ブルマ & アヴィシャイ・マルガリート 2006, p. 25.
参考文献
[編集]- イアン・ブルマ、アヴィシャイ・マルガリート『反西洋思想』堀田江理訳、新潮社〈新潮新書〉、2006年。ISBN 978-4106101823。
- Goodman, R. (2005). “Making Majority Culture”. A Companion to the Anthropology of Japan 5: 59-72.
- 松村明 編『デジタル大辞泉』Kotobank.jp、2017年。
- 松村明監修、池上秋彦 編『デジタル大辞泉』Kotobank.jp、2017年 。
- 久米, 博「オリエンタリズム」『日本大百科全書(ニッポニカ)』Kotobank.jp、2018年 。
- Britannica Japan Co., Ltd.「オリエンタリズム」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』Kotobank.jp、2018年 。
- 小西友七、安井稔、國廣哲彌、堀内克明 編『小学館ランダムハウス英和大辞典』(第2版)小学館・goo辞書、2017年 。
- goo辞書『E-DIC 英和』goo辞書、2017年 。
- Weblio (2017), Weblio英和辞典・和英辞典
- 長谷川, 啓之 監修; 上原, 秀樹 編; 川上, 高司 編 (2009). 現代アジア事典. 文眞堂
- サイード, エドワード 著、今沢紀子 訳、板垣雄三、杉田英明監修 編『オリエンタリズム』 上(初版)、平凡社ライブラリー、1993a。ISBN 978-4582760118。
- サイード, エドワード 著、今沢紀子 訳、板垣雄三・杉田英明監修 編『オリエンタリズム』 下(初版)、平凡社ライブラリー、1993b。ISBN 978-4582760125。
- 彌永, 信美『<近代>世界とオリエンタリズム』1997年 。2017年7月28日閲覧。
- 八木, 雅子「『M. バタフライ』に見る、日本にとっての東洋(オリエント)/女のイメージ」『演劇研究センター紀要Ⅰ:早稲田大学21世紀COEプログラム<演劇の総合的研究と演劇学の確立>』第1巻、2003年、358-347頁。
- 佐藤, 貴之『同伴者作家B・ピリニャーク作品の革命表象に関する研究――文明の黄昏に咲いたロシア文化の花―― (Doctoral Thesis)』東京外国語大学、2017年。
- ウルス・アップ 『オリエンタリズムの誕生』Urs App. The Birth of Orientalism. Philadelphia: University of Pennsylvania Press, 2010 (hardcover, ISBN 978-0-8122-4261-4)
- ウルス・アップ Urs App: William Jones's Ancient Theology. Sino-Platonic Papers Nr. 191 (September 2009) (PDF 3.7 Mb PDF, 125 p.; ウィリアム・ジョーンズの第三、第六、第九”Yearly discourse"を含む )
- ポール・A・コーエン『知の帝国主義―オリエンタリズムと中国像』 佐藤慎一訳、平凡社、1988年。
- 青木保『文化の否定性』 中央公論社、1988年。
- 姜尚中『オリエンタリズムの彼方へ―近代文化批判』 岩波書店〈岩波現代文庫〉、2004年。
- 彌永信美『幻想の東洋―オリエンタリズムの系譜』 筑摩書房〈ちくま学芸文庫 上・下〉、2005年。