ジョン・フィッツロイ (第9代グラフトン公爵)
第9代グラフトン公爵ジョン・チャールズ・ウィリアム・フィッツロイ(英語: John Charles William FitzRoy, 9th Duke of Grafton、1914年8月1日 – 1936年8月4日)は、イギリスの貴族。
生涯
[編集]イプスウィッチ子爵ウィリアム・ヘンリー・アルフレッド・フィッツロイ(William Henry Alfred Fitzroy, Viscount Ipswich、1884年7月24日 – 1918年4月23日、第8代グラフトン公爵アルフレッド・ウィリアム・メイトランド・フィッツロイの息子)と妻オリオル・マーガレッタ(Auriol Margarett、旧姓ブローム(Brougham)、1938年2月7日没、ジェームズ・ブロームの娘)の息子として、1914年8月1日に生まれた[1]。ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで教育を受け、B.A.の学位を修得した[1]。
1930年1月10日に祖父が死去すると、グラフトン公爵位を継承した[1]。
自動車競技選手であり、1936年のリメリック・グランプリ(1936年8月4日)に出走したが、公爵のブガッティが門柱にぶかって着火、公爵は死亡した[2]。生涯未婚であり[3]、グラフトン公爵位は祖父の弟の息子にあたるチャールズ・アルフレッド・ユーストン・フィッツロイが継承、従属爵位のアーリントン伯爵位とアーリントン男爵位は妹ジェーン(1916年4月27日 – 1995年)とメアリー・ローズ(1918年9月7日 – 2010年[4])の間で停止となった[1][3]。このうち、アーリントン男爵位は1999年5月に停止状態が解消され、ジェーンの娘ジェニファー・ジェーン・フォーウッドが継承した[5]。
出典
[編集]- ^ a b c d Mosley, Charles, ed. (1999). Burke’s Peerage and Baronetage (英語). Vol. I (106th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 1193. ISBN 2-940085-02-1。
- ^ Joyce, Joe (5 August 2009). "August 5th, 1936: Duke killed in Limerick car race crash". The Irish Times (英語). 2022年3月17日閲覧。
- ^ a b Morris, Susan; Bosberry-Scott, Wendy; Belfield, Gervase, eds. (2019). Debrett's Peerage and Baronetage (英語). London: Debrett's. p. 610. ISBN 978-1-999767-0-5-1。
- ^ "Lady Mary Rose Williams (née FitzRoy); Francis Trelawny Williams". National Portrait Gallery (英語). 2022年3月17日閲覧。
- ^ "No. 55495". The London Gazette (英語). 25 May 1999. p. 5753.
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Mr John FitzRoy
イングランドの爵位 | ||
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先代 アルフレッド・フィッツロイ | グラフトン公爵 1930年 – 1936年 | 次代 チャールズ・フィッツロイ |
アーリントン伯爵 1930年 – 1936年 | 停止 | |
アーリントン男爵 1930年 – 1936年 | 停止 次代の在位者 ジェニファー・フォーウッド |