フランスサッカー連盟

フランスサッカー連盟
名称
フランス語表記Fédération française de football
略称FFF
FIFAコードFRA
歴史
設立1919年4月7日
FIFA加盟1904年
(USFSAの一部として)
UEFA加盟1954年
組織
国または地域フランスの旗 フランス
本部パリ15区・グルネル通り87番地
会長フィリップ・ディアロ英語版
公式サイト

フランスサッカー連盟(フランスサッカーれんめい、: Fédération française de football, 略称: FFF: French Football Federation)は、フランスにおけるサッカーを統括する団体。本部はパリに置かれる。設立当初からFIFAおよびUEFAに加盟している。

全国リーグのフランス全国選手権(3部)、フランス全国選手権2(4部)、フランス全国選手権3(5部)、カップ戦のクープ・ドゥ・フランスなどを主催し、サッカーフランス代表サッカーフランス女子代表などを組織している。

歴史

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1894年、当時のフランスにおけるアマチュアスポーツ統括団体であったフランス・スポーツ競技社団連合 (Union des Sociétés Françaises de Sports Athlétiques USFSA)は最初のフランス選手権を開催した。選手権は当初はパリとその周辺のクラブのみで、ノックアウト方式で開催されたが、1896年には9チームによるリーグ戦となり、1899年以降には、パリリーグの勝者が他の地域・都市のリーグ勝者と対戦するという形式に拡大して開催されるようになった。

1900年、USFSAが編成したチームがパリオリンピックにフランス代表として出場した。1904年には、最初のフランス代表チームを組織し、ブリュッセルベルギー代表と対戦し3-3と引き分けた。同じ年、USFSAのサッカー部会幹事であったロベール・ゲランは欧州8か国のサッカー団体代表とともに国際サッカー連盟(FIFA)を創設し、初代会長に就任した。

しかし、USFSAはフランスサッカーを独占して統括できてはいなかった。USFSAはプロを排除してアマチュアスポーツを統括していたためである。1896年から1907年まで、プロ団体「Fédération des Sociétés Athlétiques Professionnelles de France (FSAPF)」は、独自にプロの大会を運営していた。1905年には、カトリック教会の支援を受けシャルル・シモンとアンリ・ドロネーが率いる「Fédération Gymnastique et Sportive des Patronages de France (FGSPF)」がまた独自の大会を主催していた。さらに1906年、自転車競技団体「Fédération Cycliste et Amateur de France (FCAF)」(フランス自転車連盟の前身)もサッカー競技大会に参入してきた。1907年、FGSPFとFCAF、各地域の団体が結集し「Comité Français Interfédéral (CFI)」を結成した。CFIはUSFSAの「Coupe National」に対抗し「Trophée de France」と銘打った大会を主催した。

1907年、USFSAはアマチュアリズム原理主義のためにFIFAを脱退。FIFAにおけるフランスの代表権、またフランス代表を選抜編成する権利もCFIに移ることになった。1913年、USFSAのサッカー部会はCFIに加入し、CFIがフランスのサッカーを独占して統括する団体となった。1919年、CFIは改組して現在のフランスサッカー連盟となった。

2011年にノエル・ル・グラエフランス語版が会長に就任すると、2018 FIFAワールドカップをはじめとする世代別・男女含めて合計11のタイトルを獲得。また、女子チームの発展にも努め、就任当初は9万人程度しかいなかった女子選手を20万人以上の規模にまで拡大させた。しかし、同国の象徴的な元選手であるジネディーヌ・ジダン氏への敬意を欠く発言やセクハラモラハラの疑惑が浮上したため2023年2月に職を退いた[1]

脚注

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関連項目

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外部リンク

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