マット・ランデル
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 韓国[1] (二重国籍) |
出身地 | ワシントン州 |
生年月日 | 1977年2月15日(47歳) |
身長 体重 | 184 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1999年 |
初出場 | NPB / 2000年7月19日 KBO / 2005年 |
最終出場 | NPB / 2004年6月20日 KBO / 2008年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について |
マシュー・ランデル(Matthew Randel , 1977年2月15日 - )は、アメリカ合衆国ワシントン州出身の元プロ野球選手(投手)。韓国球界での登録名は、랜들。
来歴
[編集]1995年のMLBドラフト84巡目でロサンゼルス・ドジャースに指名されたが、これを拒否。その後ルイスアンドクラーク州立大学に進学したが、環境に馴染めず中退。
1999年5月に福岡ダイエーホークスの入団テストを受験し、合格・入団が決まる。当時22歳でプロ経験も全くなかったため、ダイエーとしては完全に育成目的での獲得であり、年俸はドラフトで下位指名された高卒選手並みの480万円であった。1年目から二軍戦で活躍し、2年目の2000年には一軍初登板も経験したが、シーズン終了後に戦力外通告を受け退団。その後一時現役を引退していた。
2002年に独立リーグ・ユナイテッドリーグ・ベースボールのフォートワース・キャッツへ入団し、現役に復帰。その年のオフに読売ジャイアンツにテスト入団。再び日本でプレーすることになった。
2003年はロドニー・ペドラザ、コリー・ベイリー、ゲーリー・ラスの保険的な扱いだったが、先発陣の故障とペドラザやベイリーの不調で一軍に昇格。4月24日の対ヤクルト戦で先発登板し、5回2失点でプロ初勝利を挙げる。その後の登板では結果を残せず二軍に逆戻りとなったが、年俸が格安ということもあって翌年も残留となった。海外プロリーグの経験がなく、ダイエー時代の一軍出場は1試合のみだったため、この年は新人王の資格が認められていた。
2004年はオープン戦で結果を残し、開幕一軍を勝ち取る。来日したニューヨーク・ヤンキースとの練習試合でもリリーフ登板し、デレク・ジーターにホームランを打たれている。前半戦は崩壊状態のリリーフ陣をブライアン・シコースキーと二人で支え、また先発ローテーションの谷間で先発も務めた。しかし、もともと右肘に不安があった上に酷使されてきたツケが来て、中継ぎ登板から中2日で先発した6月20日の対阪神戦後、右肘を故障。シーズンの残りを棒に振り、そのまま退団となった。
2005年1月4日、韓国プロ野球の斗山ベアーズに入団し、初年度に先発で12勝を挙げている。その後、2008年までの韓国通算4年間で49勝を挙げ、斗山にとって不可欠な存在となった。しかし、2009年シーズン開幕直前にソウルの地下鉄駅の階段で転倒し腰を骨折。長期離脱が避けられなくなったため解雇を言い渡され、直後に引退を表明。
プレースタイル・人物
[編集]140km/h中盤のストレートとスライダー・カーブなどの変化球を投げる。
巨人時代は年俸が格安だったこともあり、川崎市の読売ジャイアンツ球場近くのアパートを借りて住んでいた。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
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2000 | ダイエー | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 3 | 0.1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 6.00 |
2003 | 巨人 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 44 | 9.1 | 12 | 0 | 5 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 8 | 8 | 7.71 | 1.82 |
2004 | 24 | 2 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 1 | -- | .600 | 174 | 39.2 | 39 | 7 | 18 | 3 | 2 | 42 | 0 | 1 | 24 | 24 | 5.45 | 1.44 | |
2005 | 斗山 | 29 | 26 | 0 | 0 | -- | 12 | 7 | 0 | 0 | .632 | 658 | 149.2 | 163 | 18 | 47 | 1 | 15 | 111 | 3 | 0 | 59 | 54 | 3.25 | 1.40 |
2006 | 30 | 30 | 2 | 2 | -- | 16 | 8 | 0 | 0 | .667 | 795 | 192.1 | 170 | 14 | 58 | 2 | 10 | 142 | 2 | 0 | 66 | 63 | 2.95 | 1.19 | |
2007 | 28 | 28 | 0 | 0 | -- | 12 | 8 | 0 | 0 | .600 | 684 | 164.1 | 142 | 16 | 55 | 4 | 10 | 113 | 3 | 0 | 60 | 57 | 3.12 | 1.20 | |
2008 | 29 | 29 | 0 | 0 | -- | 9 | 9 | 0 | 0 | .500 | 664 | 150.2 | 171 | 15 | 49 | 2 | 9 | 101 | 3 | 2 | 78 | 75 | 4.48 | 1.46 | |
NPB:3年 | 28 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 1 | -- | .571 | 221 | 49.1 | 53 | 7 | 23 | 3 | 2 | 48 | 1 | 1 | 32 | 32 | 5.76 | 1.52 | |
KBO:4年 | 116 | 113 | 2 | 2 | -- | 49 | 32 | 0 | 0 | .605 | 2801 | 657.0 | 646 | 63 | 209 | 9 | 44 | 467 | 11 | 2 | 263 | 249 | 3.41 | 1.30 |
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
[編集]- NPB
- 初登板:2000年7月19日、対千葉ロッテマリーンズ17回戦(千葉マリンスタジアム)、8回裏1死に4番手として救援登板、1/3回無失点
- 初奪三振:同上、8回裏に初芝清から
- 初先発・初勝利:2003年4月24日、対ヤクルトスワローズ2回戦(東京ドーム)、5回2失点
- 初セーブ:2004年6月1日、対中日ドラゴンズ6回戦(東京ドーム)、8回表に2番手として救援登板・完了、2回無失点
背番号
[編集]- 60 (1999年 - 2000年)
- 93 (2003年 - 2004年)
- 30 (2005年 - 2009年)