ラム・チェンイン

ラム・チェンイン
中国語 林正英
漢語拼音 Lín Zhèngyĩng
粤拼 Lam4 Zing3jing1
出生名 林根宝
生誕 (1952-12-27) 1952年12月27日
イギリス領香港
死没 (1997-11-08) 1997年11月8日(44歳没)
香港の旗 香港
職業 俳優、アクション監督、スタントマン、映画プロデューサー
活動期間 1969年 - 1997年
パートナー 鄭冰冰(1983年 - 1988年)
子供 長女:林式瓦(1985年生)
長男:林家耀(1988年生)
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ラム・チェンイン(林正英、1952年12月27日 - 1997年11月8日)は、香港映画で活躍した俳優スタントマン・武術指導家。

生涯

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本名:林根宝。7人兄弟の3番目。京劇で有名な春秋戯劇学校出身。武術と軽やかなスタント技を会得。17歳でスタントマンとして映画界に入り、1971年『ドラゴン危機一発』に端役で出演。ブルース・リーと出会い、武術指導・スタントマンとして認められ、『ドラゴン怒りの鉄拳』、『死亡遊戯』に出演(ただし、『死亡遊戯』の完成作品ではカットされており、その出演場面はスチル写真やドキュメンタリー映画『ブルース・リー神話』で確認できる)。1973年弱冠20歳にして、『燃えよドラゴン(龍争虎鬥)』の武術指導助手を務め、リーの右腕として、リー自身から絶大な信頼を得た。あらゆる場面でもスタントも担当した。その後、80年代に入りサモ・ハン・キンポーのスタントチーム「洪家班」のメンバーとして活躍。1981年『ユン・ピョウINドラ息子カンフー』では、ユン・ピョウの師匠役で出演。華麗なカンフーを披露した。1985年『霊幻道士』での道士役は当り役となり、道士=ラム・チェンインというイメージが定着した。

晩年は抗がん剤を打ちながらも撮影現場へ出向いたものの、スタントマン出身の彼が苦痛で思うようにアクションが出来ず、涙を呑んでスタントシーンをスタントマンに吹き替えたという。1997年11月8日、肝臓癌で亡くなった。44歳。死の直前にはやつれた自分の姿を見せたくないと、友人はおろか二人の子供の面会も拒んだという。私生活では離婚後、息子と娘を男手一つで育て、アメリカへ留学させていた。遺言として、愛用のサングラスと遺骨はアメリカに埋葬された。詠春拳截拳道の達人でもあった。

来日

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1984年12月19日 - 1985年1月5日まで『香港発活劇エクスプレス 大福星』の日本でのロケが行われ、東京都内では都営新宿線新宿駅、神楽坂「GEISHA HOUSE」、山梨県富士急ハイランド、千葉県浦安の湾岸道路などでの撮影に参加している。

1992年の東京国際ファンタスティック映画祭'92にゲストとして招待され、9月24日に成田空港に到着した[1]。9月27日に渋谷パンテオンで『コイサンマン、キョンシーアフリカへ行く』の上映前に舞台挨拶を行っている。この来日の際、数社からインタビューを受けており[2]、すでに撮影などで15 - 16回は来日していると語っている[3]

出演作品

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映画

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テレビドラマ

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  • TVシリーズ「霊幻道士」(総集編ソフト題:霊幻道士・キョンシーマスター
  • TVシリーズ「霊幻道士2」(総集編ソフト題:霊幻道士<本編、幽女編、邪教編、魔神編、完結編>)

バラエティ

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  • 連環泡(1988年1月8日)

受賞歴

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関連項目

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脚注

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  1. ^ 夢人間たちの共和国 東京国際ファンタスティック映画祭10年史. 有限会社シネマハウス. (1995年10月1日) 
  2. ^ ファンロード1992年12月号. ラポート株式会社. (1992年11月15日) 
  3. ^ 香港電影通信 第27号. (株)プレノン・アッシュ. (1992年12月10日) 
  4. ^ 第2屆香港電影金像獎得獎名單香港電影金像奨 Hong Kong Film Awards
  5. ^ 第3屆香港電影金像獎得獎名單香港電影金像奨 Hong Kong Film Awards

外部リンク

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