一噌流
一噌流(いっそうりゅう)とは能楽笛方の一流儀。一噌と略されることもある。[1]
解説
[編集]名人笛彦兵衛の弟子中村七郎左衛門が一家を立て、子の又三郎が一噌似斎とも称したところから流儀の名が興った。三世八郎右衛門以降は一噌を姓とし、江戸時代は宝生流の座付きとして活躍した。近代の名人に十二世宗家一噌又六郎、島田巳久馬(一時宗家代理)、一噌正之助・一噌仙幸親子、藤田大五郎(人間国宝)などがいる。
維新後、一噌又六郎、島田巳久馬の師弟によって流儀の統一がはかられたこともあって、役者・地域ごとの芸風の差は少ない。吹き込みを鋭く、装飾音を控え、簡素で力強い表現を目指すのが特色。東京及び九州が主要な地盤で、能楽協会に登録された役者は10名以上。元宗家は十四世一噌庸二。
宗家代々
[編集]- 流祖 一噌似斎
- 二世 中村噌庵
- 流祖の甥の矢野新五郎の子。
- 三世 一噌八郎右衛門
- 二世の末子。
- 四世 一噌六郎左衛門
- 三世の兄の中村新五郎の子で三世の養子。
- 十一世 一噌幸太郎
- 十世の子。[2]
- 十二世 一噌又六郎
- 十一世幸太郎の次男。[3]
- 十三世 一噌鍈二
- 観世流シテ方武田宗治郎の次男、十世又六郎の弟の一噌要三郎の養嗣子。
- 十四世 一噌庸二
- 十三世鍈二の長男。
墓所は多磨霊園4区1種28側。
参考文献
[編集]- 『能楽全書』(東京創元社)
- 『能・狂言事典』(平凡社)
- 『岩波講座 能・狂言』(岩波書店)
関連項目
[編集]