三方郡

福井県三方郡の位置(緑:美浜町 黄:明治期 薄黄:後に他郡に編入された区域)

三方郡(みかたぐん)は、福井県若狭国)の。若東(じゃくとう)とも呼ばれる。

人口8,571人、面積152.38km²、人口密度56.2人/km²。(2024年10月1日、推計人口

以下の1町を含む。

三方町においては、隣接する滋賀県高島市今津町と共に大阪府吹田市姉妹都市である。そのため、県境付近に『吹田市立自然の家 もくもくの里』が立地している。また、三方町のみ、大阪府高槻市とも姉妹都市である。

郡域

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町に三方上中郡若狭町の一部(田井・向笠・田名・田上・岩屋・白屋・倉見以北)を加えた区域にあたる。

歴史

近世以降の沿革

倉見村、白屋村、成願寺村、上野村、能登野村、横渡村、井崎村、黒田村、田上村、岩屋村、相田村、藤井村、南前川村、北前川村、三方村、田名村、佐古村、向笠村、気山村、大藪村、新金山村、金山村、郷市村、佐野村、興道寺村、松原村、久々子村、早瀬浦、木野村、成出村、田井村、塩坂越浦、小川浦、世久見浦、河原市村、南市村、和田村、麻生村、佐柿村、宮代村、中寺村、安江村、五十谷村、寄戸村、新庄村、坂尻村、山上村、太田村、佐田村、北田村、菅浜村、竹波村、丹生浦、海山村、遊子浦、神子浦、常神浦、日向浦

町村制以降の沿革

1.八村 2.十村 3.田井村 4.西浦村 5.西郷村 6.耳村 7.山東村(紫:美浜町 桃:三方上中郡若狭町)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。郡役所の所在地が耳村となる。(7村)
    • 八村 ← 気山村[牧口を除く]、三方村、生倉村[1]、鳥浜村[1]、向笠村、田名村、北前川村、南前川村、藤井村、相田村、佐古村(現・三方上中郡若狭町)
    • 十村 ← 田上村、黒田村、井崎村、岩屋村、横渡村、能登野村、上野村、成願寺村、倉見村、白屋村(現・三方上中郡若狭町)
    • 田井村 ← 海山村、世久見浦、田井村、成出村(現・三方上中郡若狭町)
    • 西浦村 ← 常神浦、神子浦、小川浦、遊子浦、塩坂越浦(現・三方上中郡若狭町)
    • 西郷村 ← 気山村[牧口]、大藪村、金山村、郷市村、松原村、久々子村、早瀬浦、笹田村、日向浦(現・美浜町)
    • 耳村 ← 佐柿村、木野村、和田村、河原市村、麻生村、南市村、中寺村、宮代村、安江村、五十谷村、寄戸村、新庄村、佐野村、興道寺村(現・美浜町)
    • 山東村 ← 坂尻村、山上村、太田村、佐田村、北田村、菅浜村、竹波村、丹生浦(現・美浜町)
  • 明治24年(1891年)4月1日 - 郡制を施行。
  • 明治31年(1898年)4月1日 - 西郷村の一部(早瀬・笹田・日向)が分立して北西郷村が発足。西郷村の残部が改称して南西郷村となる。(8村)
  • 明治40年(1907年8月1日 - 田井村・西浦村が合併して西田村が発足。(7村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和10年(1935年)時点での当郡の面積は250.17平方km、人口は22,193人(男10,949人・女11,244人)[2]
  • 昭和28年(1953年)4月1日 - 八村・西田村が合併して三方町が発足。(1町5村)
  • 昭和29年(1954年
    • 2月11日 - 南西郷村・北西郷村・耳村・山東村が合併して美浜町が発足。(2町1村)
    • 3月1日 - 十村が三方町に編入。(2町)
  • 平成17年(2005年3月31日 - 三方町が遠敷郡上中町と合併して三方上中郡若狭町が発足し、郡より離脱。(1町)

変遷表

行政

滋賀県三方郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治12年(1879年)5月16日
明治14年(1881年)2月6日 福井県に移管
福井県三方郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治14年(1881年)2月7日
大正15年(1926年)6月30日 郡役所廃止により、廃官

脚注

  1. ^ a b 三方村のうち。本項では村数に数えない。
  2. ^ 昭和10年国勢調査による。国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで閲覧可能。

参考文献

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 18 福井県、角川書店、1989年11月1日。ISBN 4040011805 
  • 旧高旧領取調帳データベース

関連項目