内川芳美
内川 芳美(うちかわ よしみ、1926年8月28日 - 2004年11月17日[1])は、日本のマス・コミュニケーション研究者[2]。マス・メディア史、マス・コミュニケーション史の分野において『マス・メディア法政策史研究』(1989年)に代表される業績を残した[3]。また、放送制度研究にも業績を残し[4]、2004年には「『20世紀放送史』編集への指導・助言」などを理由にNHK放送文化賞を受賞した[5][6]。
人物
[編集]佐賀県生まれ。1948年、東京大学法学部を卒業し、大学院(旧制)に進んで岡義武に師事した[3]。1949年5月31日に東京大学新聞研究所が設立された後、8月30日付で助手に採用され、以降、1954年に助教授、1964年に教授と昇任した。1971年から1974年まで、新聞研究所所長も務め、1987年に定年退官した[7]。退官後は、東京大学名誉教授の称を受けるとともに、成蹊大学文学部教授となり、文学部長[6]を務めた後、1995年に退職[8]。
研究職の傍ら、映画倫理管理委員会委員、放送文化基金理事[9]、日本放送協会監事[8]などの公職も務めた。
内川の死後、日本マス・コミュニケーション学会は、遺贈された資金により「内川芳美基金」を設け[4]、優れたマス・メディア研究の著作を対象に、2007年度から隔年で「内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞」を贈っている[10]。
代表的著作
[編集]- 『マス・メディア法政策史研究』有斐閣、1989年
- 翻訳:シーバート、ピータスン、シュラム『マス・コミの自由に関する四理論』東京創元社、1959年
- 『現代史資料40・41 マス・メディア統制 I・II』みすず書房、1973年・1975年[11]
脚注・出典
[編集]- ^ “内川さんと学会:学会をめぐる内川さんとの思い出”. マス・コミュニケーション研究 (日本マス・コミュニケーション学会) 67: 3-5. (2005). doi:10.24460/mscom.67.0_3. ISSN 1341-1306. NAID 110002954290 2021年6月1日閲覧。.
- ^ 共同通信 (2004年11月21日). “内川芳美氏死去 東京大名誉教授”. 47 News
- ^ a b 有山輝雄「内川芳美先生を偲ぶ」『マス・コミュニケーション研究』第67号、日本マス・コミュニケーション学会、2005年7月31日、6頁、doi:10.24460/mscom.67.0_6、NAID 110002954291、2021年6月1日閲覧。
- ^ a b 有山輝雄「内川芳美先生を偲ぶ」『マス・コミュニケーション研究』第67巻、日本マス・コミュニケーション学会、2005年、6-10頁、doi:10.24460/mscom.67.0_6、ISSN 1341-1306、NAID 110002954291、2021年6月1日閲覧。
- ^ “日本放送協会 放送文化賞”. 日本放送協会. 2011年6月22日閲覧。
- ^ a b “成蹊大学成蹊ニュース2003 内川芳美元成蹊大学文学部長がNHK放送文化賞を受賞されました。(2004年3月5日)”. 2011年6月22日閲覧。
- ^ 「新聞研究所・社会情報研究所 年表 昭和24年 - 平成11年(1949 - 1999)」『東京大学社会情報研究所紀要』第58号、1999年、177-201頁。
- ^ a b “平成11年度業務報告書 -資料32- 監事の経歴”. 日本放送協会. 2011年6月22日閲覧。
- ^ 内川芳美「広告人「吉田秀雄」から学ぶもの」(PDF)『アド・スタディーズ』第6巻秋、吉田秀雄記念事業財団、2003年11月25日、29頁、2011年6月22日閲覧。
- ^ “内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞について”. 日本マス・コミュニケーション学会. 2021年6月1日閲覧。
- ^ 和田洋一「現代史資料(みすず書房) 内川芳美『マス・メディア統制』1・2, 掛川トミ子『思想統制』, 奥平康弘『治安維持法』」『新聞学評論』第27号、日本新聞学会、1978年6月30日、123-127頁、NAID 110002772557。
関連項目
[編集]- 小野秀雄 - 東京大学新聞研究所設立時の所長