前田利之
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天明5年10月17日(1785年11月18日) |
死没 | 天保7年12月10日(1837年1月16日) |
改名 | 虎次郎(幼名)、利之 |
諡号 | 済民、三宝館、敬事堂、冥鴻館、白鳩軒 |
戒名 | 篤含院殿温山良潤大居士 |
墓所 | 石川県加賀市の実性院 |
官位 | 従四位下、侍従 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 加賀大聖寺藩主 |
氏族 | 前田氏 |
父母 | 父:前田利物、母:前田信成の娘(梅芳院) 養父:前田利考 |
兄弟 | 利之、卯、瓊 |
妻 | 正室:酒井忠徳の娘・貞寿院 側室:厚見氏(智泉院)、古河氏、中村氏、小原氏(蓮静院) |
子 | 造酒丞(長男)、鈴(霊光院)、利極、緩次郎(三男・塋運院)、利建、利平、建(水野忠順正室)、銈(永井直輝正室) |
前田 利之(まえだ としこれ)は、加賀大聖寺藩の第9代藩主。
生涯
[編集]天明5年(1785年)10月17日、第7代藩主・前田利物の三男として大聖寺で生まれる。文化2年(1805年)、第8代藩主で従兄の利考が死去したため、その養子として文化3年(1806年)3月14日に家督を継いだ。文政4年(1821年)、本家の加賀藩主・前田斉広の懇請により、幕府から10万石の高直しを受けて、大聖寺藩は10万石格の大名となった。ところがこれにより、軍役の負担など出費の増大が相次いで財政悪化を招いた。このため、倹約を強化して財政再建を目指したが、効果はなかった。
天保7年12月10日(1837年1月16日)、大聖寺で死去した。享年52。跡を次男の利極が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 貞寿院 ー 酒井忠徳の娘
側室
- 智泉院 ー 厚見氏
- 古河氏
- 中村氏
- 蓮静院 ー 小原氏益の娘
子女
- 前田造酒丞(長男)生母は貞寿院(正室)
- 前田利極(次男)生母は貞寿院(正室)
- 前田緩次郎 ー 塋運院(三男)生母は智泉院(側室)
- 前田利建、生母は智泉院(側室)
- 前田利平(六男)生母は蓮静院(側室)
- 鈴 ー 霊光院、生母は智泉院(側室)
- 建 ー 水野忠順正室、生母は蓮静院(側室)
- 銈 ー 永井直輝正室、生母は中村氏(側室)