勝山企業
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 | 日本 〒980-0011 宮城県仙台市青葉区上杉5-3-36 第三勝山ビル2階 |
設立 | 1965年4月2日 (1688年創業) |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 9370001007577 |
事業内容 | 飲食店経営、不動産業 |
代表者 | 代表取締役社長 伊澤優花 |
資本金 | 4550万円 |
純利益 | 4億1780万9000円[1] |
総資産 | 23億3515万5000円[2] |
従業員数 | 11名 |
決算期 | 3月31日 |
外部リンク | https://www.shozan-sendai.com |
勝山企業株式会社(かつやまきぎょう)は、宮城県仙台市青葉区上杉に本社を置く企業である。総合宴会場「仙台勝山館(しょうざんかん)」を運営していた。
2023年1月、藩政時代に建てられた勝山酒造の旧蔵をリノベーションしたレストランShozanを開業[3]。
概要
[編集]元禄時代に創業し、六代目蔵元にあたる二代目平蔵の時の1857年(安政4年)、 仙台藩より「御酒御用酒屋」を拝命。北五番丁(現在の上杉)、上杉山通り角の屋敷を拝領し勘定奉行支配の扶持人として苗字帯刀御免の士格に列せられた[4]。以来、仙台藩御酒御用酒屋として「勝山」や「泉川」の銘にて酒を醸す[4]。伊澤家は七十七銀行の設立にも参画し、伊澤平左衛門は初代、 伊澤平勝は六代の頭取を務めたほか、1928年(昭和3年)には私苑の一部を仙台市に寄贈。同所は勝山公園となった。
1935年(昭和10年)、合名会社伊澤酒造本店として法人組織になり、1943年(昭和18年)に戦時企業統合により一時、仙台酒造勝山工場となったが、1957年(昭和32年)再び合名会社に復す[4]。1965年(昭和40年)には勝山企業に組織変更し、醸造部門は勝山酒造部となる[4]。
敷地内に1962年(昭和37年)「宮城調理師学校」(現:宮城調理製菓専門学校。後に葉山町移転) 、1972年(昭和47年)に「勝山ボウリングクラブ」、1978年(昭和53年)に「勝山スケーティングクラブ」を開校・開業させ、勝山スケーティングクラブは及川史弘、荒井万里絵、荒川静香、羽生結弦がホームリンクとしていた時期があった。加えて1991年(平成3年)10月、明治初期の頃から仙台空襲により消失するまで伊澤家の迎賓館があった場所に[4][5]、総工費約70億円を投じ、本館と和風館からなる地下1階地上7階建ての「仙台勝山館」を広く市民のおもてなしの館として再建した[5][4]。
2005年(平成17年)、再起を掛け勝山酒造部を市街地の泉区福岡の泉ヶ岳南東麓、七北田川沿いに移転した。新蔵では規模を大幅に縮小することで、 新鋭機器と微妙な手作業を組み合わせた高級酒に絞った酒造りを進める体制を整え[6]、2010年(平成22年)7月、勝山酒造部は新たに「仙台伊澤家勝山酒造」として独立し、新会社として再スタートした。 2016年(平成28年) には、勝山企業総合企画部から「勝山ネクステージ」として分社化した。
なお、勝山スケーティングクラブ、勝山ボウリングクラブ、仙台勝山館の3施設はすでに営業を終えている。
仙台勝山館
[編集]- 杜の都の迎賓館・仙台勝山館
勝山企業が運営していた仙台勝山館は、かつて伊澤氏の迎賓館があった場所(仙台空襲によって消失)に「杜の都の迎賓館・市民のおもてなしの館」として1991年に開業した[4][5]。建物は総工費70億円を投じ、宴会場やフランス料理「リストランテ・パドリーノ・デル・ショーザン」、イタリアン料理「ピッツェリア パドリーノ・デル・ショーザン」などがある本館と、日本料理「醇泉(じゅんせん)」などがある和風館、結婚式を行うチャペル棟からなる地上7階、地下1階建てであった。
- 先進7カ国(G7)財務相・中央銀行総裁会議の歓迎夕食会の会場として
2016年5月20日(金)、21日(土)に仙台市秋保地区において、ホテル佐勘を会場に G7財務大臣・中央銀行総裁会議が開催された。会議においては、5月からのG7伊勢志摩サミットに向け、世界経済の再興、強靭な国際金融構造の構築等に関する広範な議論が行われた。あわせて会議公式日程として被災地復興状況視察が実施された。この際、夕食会の会場に、景観的価値のある仙台勝山館が選ばれ、麻生太郎財務大臣(当時)が足を運んだ。
- 新型コロナウイルスと閉館
2020年6月、仙台勝山館は新型コロナウイルスの感染急拡大により、需要低下と資金不足が深刻となり、契約済みの結婚式とすべて開催ののち、全館休館とし営業自体も休止した。しかし、営業再開することはなく、1年後の2021年6月末を持って、幕末から200年続く「仙台勝山館」の名に幕を下ろし、閉館した。閉館時の建物としては30年あまりの歴史となった。
- 勝山館の売却と解体、商業施設建設へ
閉館後、勝山企業は建物・敷地の売却を決定。売却先業者を募り、複数の企業の中から、仙台市泉区の住販システムに約30億円で建物を売却した。勝山企業の伊澤平一社長(当時)は、「建物はあと15年は持つ。大切に使ってもらえる企業に売却したい」と記者会見の場で述べ、実際に売却時の条件にもこの事を組み込んだ。住販システム側もこの条件を受け入れたのち購入。住販システムの赤木代表は「仙台勝山館は仙台の名所とも言える施設。大切にしていかないといけない。」と述べた。しかし、この建物の活用は困難と考え、老朽化を理由(同年3月の地震の影響とという報道もある[7])に2022年5月16日から緊急に解体工事を開始した。この急な解体工事は、多くのニュース番組・新聞で取り上げられ、ネットニュースでも大きな話題となった。またSNS上では、解体を惜しむ声や反対の声があとを絶たなかった。解体工事は2022年11月30日で終了。跡地には、ヨークベニマルを核店舗とする地上2階建ての商業施設が建設され[8]、ヨークベニマル仙台上杉店が2023年11月18日に開業した[9]。
館内施設
[編集]- 1階
仙台勝山館1階には、レストランなど、一般客が利用できる施設があった。また、勝山館内にあるレストランはすべて勝山企業が営業していたものである。
- ロビーラウンジ(1階ロビー)
仙台勝山館に入ってすぐにロビーラウンジがあり、仙台勝山館オリジナルコーヒーやソフトドリンクなどを提供。カフェとして利用された。このロビーラウンジにはもともと、勝山館北側に移動した「ピッツェリア・パドリーノ・デル・ショーザン」があり、ピザなどを提供していた頃もあった。
- ピッツェリア・パドリーノ・デル・ショーザン(1階北側)
勝山館の北側、北5番丁沿いに、イタリアンレストランの「ピッツェリア・パドリーノ・デル・ショーザン」があった。もともとは1階ロビーに位置していたが、途中から北側の改装部分に移動した。同レストランでは、本格ピザやパスタなどと提供。提供していたピザは、コンテストで優勝。日本一のピザに輝いたこともあった。店内の設備は、イタリアから取り寄せたものをほぼ利用し、店内の雰囲気は利用客にとても人気があった。
- リストランテ・パドリーノ・デル・ショーザン(1階南側)
ロビーラウンジを挟んだ1階南西部分には、フランス料理レストラン「リストランテ・パドリーノ・デル・ショーザン」があった。レストランの入口を入るとまずバーがあり、ワインセラーとともに仙台勝山館所有の5000本のワインなどのアルコールを提供していた。このバーには、東北で唯一、ワインを酸化させない機械があり、常に上質なワインを提供していた。バーの奥には、レストランフロアがあり、ここで仙台勝山館オリジナルのフランス料理を提供していた。また、レストランフロアからは、仙台勝山館の日本庭園が一望でき、最高な景観も重ねて提供していた。その奥には、追加料金で利用でいる広いラグジュアリールーム(個室)があり、プライベート空間としても対応。また、2016年5月20日(金)、21日(土)にG7財務大臣・中央銀行総裁会議がG7伊勢志摩サミットに向けて仙台市内で開かれ、この際歓迎夕食会の会場に、同レストランが選ばれ、麻生太郎財務大臣(当時)が足を運んだ。
- 日本料理「醇泉(じゅんせん)」(1階東部・和風館)
沿革
[編集]- 1688年(元禄元年) - 創業。
- 1857年(安政4年) - 仙台藩より「御酒御用酒屋」に拝命され、現在の上杉の土地を与えられ同地で醸造業を営む。
- 1928年(昭和3年) - 私苑の一部を仙台市に寄贈。勝山公園となる。
- 1945年(昭和20年) - 仙台空襲でかつての「勝山館」の建物を消失。一方で勝山酒造の酒蔵は焼失から逃れ、江戸時代の蔵造り建築の一部は現代まで残る。
- 1965年(昭和40年) - 合名会社伊沢酒造本店から勝山企業株式会社に組織変更。
- 1972年(昭和47年) - 「勝山ボウリングクラブ」開業。
- 1978年(昭和53年)12月9日 - 「勝山スケーティングクラブ」開業。
- 1991年(平成3年)10月 - 宴会場、結婚式場、レストランなどで構成される総合宴会場「仙台勝山館」が開業。
- 2002年(平成14年)- 勝山ボウリングクラブ1階に西友勝山公園店が入居。
- 2009年(平成21年)4月30日 - 「勝山スケーティングクラブ」が閉業。
- 2005年(平成17年) - 勝山酒造部を泉区福岡に移転。酒蔵の建物の一部は現在も勝山館隣に残され、かつて工場があったその裏手は駐車場「上杉北五番丁パーキング」となる。
- 2010年(平成22年)7月 - 勝山酒造部が「仙台伊澤家 勝山酒造株式会社」に分社。
- 2011年(平成23年)3月11日 - 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で勝山ボウリングクラブが被災したため同日から営業が休止、同年4月10日に閉鎖。
- 2012年(平成24年)6月10日 - 西友勝山公園店が閉店。同店とボウリングクラブおよびスケーティングクラブ一体の跡地は住友不動産に売却された。
- 2016年(平成28年) - 勝山企業総合企画部から「勝山ネクステージ」が分社。同社は食品の製造販売等の事業を行い、仙台勝山館の商標を使用した商品も扱う。
- 2021年(令和3年)
- 2022年(令和4年)
- 5月 住販システムは建物の活用を断念。解体を発表する。理由については同年3月に発生した福島県沖地震の影響でスプリンクラーの誤作動による浸水の他、ガス、水道、電気設備等も被害を受け、修復に多額の費用がかかるためと説明している[7]。
- 6月 建物の解体作業が始まる。
- 12月 勝山企業代表に28歳伊澤優花氏 祖父・平一氏は退任
- 2023年(令和5年)
- 1月 旧仙台勝山館に隣接する、かつての酒蔵を改装した、レストラン「Shozan」が開店。
- 11月以降、仙台勝山館跡地に建てられた商業施設にヨークベニマルが核店舗として開業予定。
グループ企業
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ https://catr.jp/companies/d33ae/186266/settlements/e3342/239843
- ^ https://catr.jp/companies/d33ae/186266/settlements/e3342/239843
- ^ 勝山企業代表に28歳伊沢優花氏 祖父・平一氏は退任 『河北新報』(2022年4月13日 )
- ^ a b c d e f g 仙台のしにせ 創業百年以上 1992, p. 43.
- ^ a b c 「70億円を投じて「食」の中核施設、世界のワインも提供 勝山企業」『日本経済新聞』東北地域経済面 2頁 1991年2月10日
- ^ 「勝山企業(宮城県)仙台藩御用酒、純米系丁寧に 酒造探訪」『日本経済新聞』東北地域経済面 24頁 2008年12月4日
- ^ a b 「仙台勝山館」解体へ 3月の地震影響、活用断念 - 河北新報(2022年5月11日)
- ^ “仙台勝山館跡地にヨークベニマル 来年11月以降開業”. 『河北新報』. (2022年11月30日) 2023年1月2日閲覧。
- ^ https://yorkbenimaru.com/images/2023/11/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%99%E3%83%8B%E3%83%9E%E3%83%AB%E4%BB%99%E5%8F%B0%E4%B8%8A%E6%9D%89%E5%BA%97-%E9%96%8B%E5%BA%97%E3%81%AE%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B2023%E5%B9%B411%E6%9C%88-.pdf
- ^ “コロナ影響 仙台 勝山館休業へ”. NHK NEWS WEB 東北 NEWS WEB. (2021年2月16日) 2021年2月16日閲覧。
- ^ “仙台勝山館 3月末で休業 従業員に退職求める 一部婚礼は実施か”. 『河北新報』. (2021年2月16日) 2021年2月16日閲覧。
- ^ 『グループ会社の休業に関するお知らせ』(プレスリリース)仙台伊澤屋 勝山酒造株式会社、2021年2月16日 。2021年7月3日閲覧。
- ^ 『グループ会社の休業に関するお知らせ』(プレスリリース)勝山ネクステージ株式会社、2021年2月16日 。2021年7月3日閲覧。
- ^ “仙台勝山館、6月末で営業終了 土地と建物は売却検討”. 『河北新報』. (2021年6月29日) 2021年7月2日閲覧。
- ^ “「仙台 勝山館」30年の歴史に幕 新型コロナが影響”. NHK NEWS WEB 東北 NEWS WEB. (2021年6月30日) 2021年7月2日閲覧。
- ^ “仙台勝山館、住販システムGへ売却決定 10月中に引き渡し”. 『河北新報』. (2021年10月15日) 2021年10月16日閲覧。
参考文献
[編集]- 仙台のしにせ編纂委員会編『仙台のしにせ 創業百年以上』仙台商工会議所、1992年10月。