原清 (実業家)

原 清(はら きよし、1907年4月15日 - 1990年10月18日)は、日本の実業家である。朝日放送(ABC)社長や会長などを歴任した。

経歴

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兵庫県宝塚市出身。小学校を卒業後父親を亡くし、篤志家の実業家石川芳次郎に助けられ、就職するまで住み込みの書生として経済的支援を受ける[1]。旧制甲陽中学校を経て、関西学院高等商業学校卒業。 

学校を卒業した1930年朝日新聞社へ入社。1951年には朝日放送の設立に参加し、同社の放送部長、取締役を歴任した。

1956年大阪テレビ放送が開局すると同局に移籍し、常務に就任した。同じく常務であった永松徹(のちの毎日放送専務)と共に、二人三脚で同局の開局を支えた。1959年にこの大阪テレビ放送が朝日放送に合併したことで、朝日放送に常務として復帰し、1964年、専務、1968年、副社長、1971年、社長に就任する。関西テレビ界の重鎮として知られ、ミス・ユニバース世界大会においても、しばしば審査員を務めていた。

JNN基幹局で構成される「五社連盟」では、今道潤三TBS社長)、小嶋源作CBC社長)、金子秀三RKB社長)と共に中心人物となっていた。1975年には、朝日新聞社およびTBSからの要請を受託し、いわゆる「腸捻転ネット」の解消(ANNへの移行)を断行した。これに伴う大幅な減収減益を、自社の番組制作能力や営業力の強化と、西日本地域を中心とした系列局への支援を行うことで克服し、1983年6月、会長に就任した。

1990年10月、社用でパリ出張中、滞在先のホテルで急性心不全のため急逝。葬儀は同年12月12日ザ・シンフォニーホールにて挙行された。

出典

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脚注

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  1. ^ 松下幸之助と成長の家 石川芳次郎を介して 川上恒雄、 PHP総合研究所、 2009-10