嘆きの天使
嘆きの天使 | |
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Der blaue Engel | |
デンマーク公開時のポスター(1930年) | |
監督 | ジョセフ・フォン・スタンバーグ |
脚本 | ロベルト・リーブマン |
原作 | ハインリヒ・マン |
製作 | エリヒ・ポマー |
出演者 | エミール・ヤニングス マレーネ・ディートリヒ |
音楽 | フリードリヒ・ホレンダー |
撮影 | ギュンター・リッタウ |
配給 | ウーファ 東和商事 |
公開 | 1930年4月1日 1931年5月13日[1] |
上映時間 | 107分 |
製作国 | ドイツ国 |
言語 | ドイツ語 英語版あり |
『嘆きの天使』(なげきのてんし、独: Der blaue Engel)は、1930年製作・公開のドイツの映画で、原作はハインリヒ・マンの長編作品。
紹介
[編集]ドイツ出身で、当時すでにハリウッドで監督としての名声を得ていた、ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督を、当時のドイツで大物プロデューサーだったエーリヒ・ポマーが、ドイツ映画界最初期のトーキー映画の監督として招聘した。 ヒロインのローラ・ローラを演じたマレーネ・ディートリヒは、本作で国際的な名声を得た。 撮影現場では、ドイツ語と英語で撮影された。原作はハインリヒ・マンが1905年に発表した小説『ウンラート教授 : あるいは、一暴君の末路』[2]で、マン自身も本作の脚本制作に関与している[3]。
公開から約30年後の1959年、アメリカでエドワード・ドミトリク監督により同題の映画『The Blue Angel(邦題:嘆きの天使)』としてリメイクされ、ヒロインのローラをスウェーデン出身の女優メイ・ブリットが演じた。
ストーリー
[編集]この節にあるあらすじは作品内容に比して不十分です。 |
イマヌエル・ラート教授は融通の利かない謹厳実直な英語の教授だった。そして、彼の毎日は変化のない退屈なものであった。今日も悪戯好きの悪童学生を叱りつけながら講義を進める。
その日、学生の一人が授業中に絵葉書を落して、それを見た教授はあまりの品の無いいかがわしさに仰天した。それは街のキャバレーに巡業に来ている歌妓舞踊団の踊り子の絵葉書で、いかがわしい遊びに誘うものであった。教授は学生達が酒と女の誘惑に負ける事を深く悩み、心配するのであった。
その晩、教授はその事実を確かめるべく責任上から意を決して、生まれて初めてキャバレーの扉を開く事となる。喧噪のなかで戸惑う教授の姿を認めた不良学生は直ぐに逃げ出し、教授は絵葉書に描かれた踊り子のローラの部屋に案内される。あまりに謹厳実直で生真面目な教授は団員達から驚かれながらも、興味をひかれたローラから歓待される。不良学生を見つけて取り逃がしてしまった教授はローラに不思議な魅力を感じながらも、酔客のトラブルに巻き込まれて帽子を忘れて帰っていく。帰る先は殺風景な書籍に囲まれた部屋に、寒々とした寝台がポツンとあるだけであった。
キャスト
[編集]- ローラ・ローラ: マレーネ・ディートリヒ
- イマヌエル・ラート: エミール・ヤニングス
- キーペルト: クルト・ゲロン
- グステ(キーペルトの妻): ローザ・ヴァレッティ
- マゼッパ: ハンス・アルバース
リメイク版
[編集]- 『嘆きの天使』 "The Blue Angel" (1959年) 米=西独合作
- "Pinjra (Marathi: पिंजरा; Cage)" (1972年) 印 ※日本未公開
- 『ブルーエンジェルカフェ』 "Blue Angel Cafe" (1989年) 伊
- "La Venus bleue" (1993年) 仏 ※日本未公開
作品の影響・評価
[編集]- ルキノ・ヴィスコンティ監督は1969年公開、のちに「ドイツ三部作」の第1作目となる映画『地獄に堕ちた勇者ども』でマルティンを演じる25歳のヘルムート・バーガーに本作のマレーネ・ディートリヒに扮した女装をさせ、本作と同じく「Falling In Love Again」を歌わせている。本作『嘆きの天使』はヴィスコンティがもっとも愛した映画の一つであったともいう[4]。
- ジャン・ポワレ原作の舞台劇『ラ・カージュ・オ・フォール』を原作とした1978年の映画『Mr.レディMr.マダム』の続編。『Mr.レディMr.マダム2』(1980年)ではミシェル・セロー演じるザザがマレーネ・ディートリヒに扮して冒頭でショーのリハーサルで、本作と同じく「Falling In Love Again」を歌唱している。また物語の中盤でレナートの策略でザザの全身を真っ黒にした上にマレーネに扮装させ再び歌わせて大恥を欠かせるパロディまで登場する。
- ニュー・ジャーマン・シネマを代表する監督ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーは本作をもとに、作品の舞台を1950年代ドイツに置き換えたオマージュ作『ローラ(Lola)』(1981年)を制作している[5]。
脚注
[編集]- ^ 田中純一郎『日本映画発達史 2 : 無声からトーキーへ』 中公文庫、1976年、220頁。
- ^ ハインリヒ・マン『ウンラート教授 : あるいは、一暴君の末路』今井敦訳、松籟社、2007年。ISBN 978-4879842558。新版・岩波文庫、2024年。ISBN 978-4003247419
- ^ 今井敦「小説「ウンラート教授」と映画「嘆きの天使」 : ハインリヒ・マン「ウンラート教授」百年 (その2)」『九州工業大学研究報告 人文・社会科学』第54巻、九州工業大学、2006年3月、19-29頁。
- ^ 三浦 淳 (1999年7月31日). “書評:山崎俊晴『ヴィスコンティとトーマス・マン』(日本図書刊行会)1998年9月発行、1500円(税別)”. 新潟大学 三浦淳研究室. 2023年7月18日閲覧。
- ^ “INTRODUCTION -作品紹介- |「ファスビンダーと美しきヒロインたち」オフィシャルサイト”. 「ファスビンダーと美しきヒロインたち」オフィシャルサイト. VALERIA (2013年). 2023年2月24日閲覧。
参考文献
[編集]関連項目
[編集]- ハインリッヒ・マン - 原作者。
- マレーネ・ディートリヒ - 本作への出演で国際的なスターとなった。
- ドイツの映画 - ドイツ映画史における本作の位置づけ。
- 嘆きの天使 (1959年の映画) - 1959年公開のエドワード・ドミトリク監督によるリメイク作品。
- 高校教師 (1993年のテレビドラマ) - 同名のエピソードがある。