図師嘉彦
図師 嘉彦(ずし よしひこ、1904年 - 1981年)は、日本の建築家。日本建築学会・日本演劇学会共同委員会「劇場小委員会」に属し、劇場建築への造詣が深かった人物。東京出身。
人物・来歴
[編集]鉄道官僚図師民嘉の次男として東京に生まれ[1]、1929年に早稲田大学理工学部建築学科卒業後、大蔵省営繕課勤務を経てドイツに留学。 1934年(昭和9年)帰国、直後に日本共産党に資金提供したとして治安維持法違反で逮捕[2]。釈放後、1935年(昭和10年)に独立。1937年(昭和11年)、自らの建築設計事務所・株式会社図師設計事務所を設立。市浦健・土浦亀城らと新興建築家聯盟を結成。このころ日本共産党の地下印刷所などを設計。
1946年(昭和21年)、今泉善一、梅田穣、海老原一郎ら旧創宇社系メンバーで日本民主建築会結成。同年に全日本建築民主協議会を結成するが、翌年、再結成する形で新日本建築家集団(通称NAU)に移行。
1947年(昭和22年)から1948年(昭和23年)にかけて、浜口隆一らと「近代建築論争」(「浜口・図師論争」「『ヒューマニズムの建築』論争」とも)を展開する。
1977年(昭和52年)、山並義也を迎え、株式会社図師設計事務所を解散し新たに、図師嘉彦+山並義也で図師建築研究室を設立(のち1989年、株式会社山並建築研究所と社名変更し、現在に至る)。1982年(昭和57年)、株式会社図師建築研究室として法人組織としている。
親族
[編集]鉄道官僚の図師民嘉は父[1]。母の佐用は江戸幕府奥医師林洞海の娘[3]。
作品
[編集]- 日魯漁業ニチロビルディング1号館 - 1929年(現存せず)
- 日魯漁業ニチロビルディング2号館 - 1934年
- 日魯漁業函館支店3号館(旧社員倶楽部及び事務所)- 施工:木田組函館支店、竣工:昭和13年(1938年)、構造:鉄筋コンクリート造り5階建て(4階 - 5階旧ホール部分は鉄骨構造)所在地:函館市大手町5-10
- 戸越保育所 - 1939年、東京都品川区
- 日本基督教団函館教会(旧日本メゾシスト函館教会ハリス監督記念会堂)- 施工:木田組函館支店、所在地:函館市大手町、函館市景観形成指定建築物
- 「Project : Interpentrated Theater」(Prague Quadriennale - 1975年6月、共同設計者:図師嘉彦、清水裕之、草野寛、田中誠、土屋隆、杉本忠雄
- 前進座演劇映画研究所及び共同住宅 - 1937年、東京都武蔵野市
- 函館ニチロビルディング(日魯漁業函館支店)2号館・3号館
著書・論文等
[編集]- 「近代建築の理解における浜口氏の誤謬について」(『建築新聞』第二号、新日本建築家集団、1947年)
- 『工員寄宿舎』(乾元社、<建築新書14>、1945年)
- 『厚生と建築』 (1946年、乾元叢書)
- 『住いの建て方直し方』 (彰国社, 1951年)
- 『日本の劇場回顧』 (相模書房、1947年)
- 「日本におけるオペラバレエ劇場はいかにあるべきか(建築計画部門-2-)」 (昭和54年度日本建築学会秋季大会(関東――研究協議会、図師嘉彦 , 小谷喬之助 『建築雑誌』 94 (1154) 、p21-22、1979年8月号)
- 「劇場概論」(『演劇学論集』・日本演劇学会紀要17号、1977年)
- 『歌舞伎鑑賞入門』(共著、創元社、昭和34年初版発行)
- 『歌舞伎手帖』(共著、創元社、昭和26年初版発行)
- 「エス・エス・エ・エルにおける住宅問題展望」(『国際建築』1931年2月号 国際建築協会)
- 「ライオンビヤホールの改築」(『国際建築』1939年6月号 国際建築協会)
- 「政治に歪む建築――建築学」(『改造』Year of Publication 1953年7月号)
- 「II多目的ホール設計の問題点」(建築計画部門、<主集>45年度日本建築学会関東大会『建築雑誌』 86 (1033) 、p82-83、1971年2月号)
- 「ソ連建築初期の動向 (ソ連建築をどううけとめたか、変貌するソビエト建築)」(『建築雑誌』 84 (1008) 、p274、1969年4月号)
- 「建築以前の問題と建築技術的解明の問題 (国立国際会館応募作品展をみて)」『建築雑誌』 78 (931) 、p613、1963年10月号)
- 「建築行政座談会 浅田孝、伊藤憲太郎、加藤渉、小宮賢一、図師嘉彦、中井新一郎、早川文夫、前田勇、吉田安三郎、篠原 正也」(『建築雑誌』71 (837) 、p45-60、1956年8月号)
- 「建築家の活動と報酬」(『建築雑誌』 68 (795) 、p7-10、1953年2月号)
- 「建築運動 (1951年建築界展望) 」(『建築雑誌』 66 (781) 、p30-31、1951年12月号)
- 御祭用具廃物利用の一例 図師嘉彦/図師嘉彦・井上錦明「庭飾と注連」(『民俗芸術』2-1 昭和4年1月 192901 10)
- 台所の改造 占領期の女性雑誌シリーズ(『婦人』3巻3号、1949年3月号)
- 「見世物小屋に就いて」(『民俗芸術』2-3 昭和4年3月)
脚注
[編集]- ^ a b 銀座5丁目尾張町「ライオンビヤホール」(1939年)とその壁画 : 建築家・図師嘉彦の言説を手がかりとして藝叢 : 筑波大学芸術学研究誌 30
- ^ 共産党シンパの人物『東京朝日新聞』昭和9年5月22日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p544 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 林洞海・研海 父と子の理念望月洋子、日本医史学雑誌第49巻第4号(2003)
参考文献
[編集]- 『新建築』 第13巻7号 新建築社 昭和12年7月30日発行
- 『新建築』1961年6月号 てーぷ・いんたびゅう
- 神代雄一郎「近代建築研究の現代に於ける二つの課題──浜口・図師両氏の論争を中心として」(『新建築』1948年7・8月号、新建築社)
- 丹下健三・藤森照信著『丹下健三』新建築社 2002年