国鉄テキ200形貨車
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国鉄テキ200形貨車 | |
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国鉄テキ200形、テキ200 1987年11月14日 | |
基本情報 | |
車種 | 鉄製有蓋車 |
運用者 | 日本国有鉄道 日本貨物鉄道(JR貨物) |
所有者 | 秩父セメント |
製造所 | 日本車輌製造 |
製造年 | 1966年(昭和41年) - 1968年(昭和43年) |
製造数 | 20両 |
消滅 | 1988年(昭和63年) |
常備駅 | 籠原駅、武州原谷駅 |
主要諸元 | |
車体色 | 黒 |
専用種別 | 袋詰めセメント |
軌間 | 1,067 mm |
全長 | 14,550 mm |
全幅 | 2,720 mm |
全高 | 3,550 mm |
荷重 | 31 t |
実容積 | 62.9 m3 |
自重 | 18.5 t |
換算両数 積車 | 5.0 |
換算両数 空車 | 1.8 |
台車 | TR41C |
車輪径 | 860 mm |
軸距 | 1,650 mm |
台車中心間距離 | 10,350 mm |
最高速度 | 75 km/h |
国鉄テキ200形貨車(こくてつテキ200がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)及び1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化後は日本貨物鉄道(JR貨物)に在籍した鉄製有蓋車である。
概要
[編集]本形式は、1966年(昭和41年)6月14日と1968年(昭和43年)4月22日に、日本車輌製造支店で10両ずつ、計20両(テキ200 - テキ219)が製造された、31 t積み二軸ボギー鉄製有蓋車である。秩父セメント所有の私有貨車で、前例であるテキ1形(2代)と同様、積荷と区間を限定して運用された。
本形式の積荷は袋詰めセメントで、車体の形態はテキ100形(秩父鉄道車籍。本形式も同形式と同じ秩父鉄道車籍でもよかったはずだが、なぜ国鉄車籍の私有貨車となったのかは不明)と酷似しており、パレット荷役に対応した側面総開き式であるが、テキ100形の6分割に対して、本形式では4分割となっている。パレットは、専用の特殊形状のもの16枚が積載可能である。妻板も平鋼板製で、上部に通気口が設けられている。また、屋根はビード入り平鋼板製の山形であるが、テキ100形で設けられていた屋根上の歩み板は、本形式では廃止された。台枠は、台車間の中梁を太くした魚腹型台枠である。足踏み式ブレーキは、1966年(昭和41年)製の前期形では片側装備であるが、1968年(昭和43年)製の後期形では両側装備となっている。
荷室の寸法は、長さ13,650 mm、高さ2,260 mm、床面積30.5 m2、容積62.9 m3で、中央部に固定式の仕切り、その前後部中間に可動式の仕切りが設けられている。全長は14,550 mm、全幅は2,720 mm、全高は3,550 mm、台車中心間距離は10,350 mm、自重は18.5 tである。本形式の台車はスリーピース式一体鋳鋼台車のTR41Cで、最高運転速度は75 km/h、車軸は12 t短軸である。
本形式は、テキ200 - テキ205, テキ210 - テキ219が高崎線の籠原駅、テキ206 - テキ209が秩父鉄道秩父本線の武州原谷駅に常備(1971年(昭和46年)2月に全車武州原谷駅常備に変更)され、秩父鉄道線内から発送される袋詰めセメントの輸送用として、八高線の小宮駅、相模線の北茅ケ崎駅、上信電鉄上信線の南高崎駅、東武鉄道伊勢崎線の業平橋、東上線の下板橋など、指定された駅との間で運用された。1986年(昭和61年)5月31日にテキ203が廃車され、残る19両が日本貨物鉄道に車籍を引き継がれたが、1988年(昭和63年)6月29日に全廃された。
参考文献
[編集]- 「国鉄貨車形式図集 I」1992年、鉄道史資料保存会刊 ISBN 4-88540-076-7
- 貨車技術発達史編纂委員会 編「日本の貨車―技術発達史―」2008年、社団法人 日本鉄道車輌工業会刊