大島寅夫
おおしま とらお 大島 寅夫 | |
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生誕 | 安田寅夫 1935年2月7日(89歳)[1] 日本 岐阜県海津郡東江村 (現:海津市)[2] |
出身校 | 同志社大学法学部 卒業 |
職業 | 実業家 |
肩書き | 元中日新聞社代表取締役社長 |
親 | 安田順時(実父)[1] 安田菊江(実母)[3] 大島一芳(養父)[1] |
大島 寅夫(おおしま とらお、1935年2月7日[1] - )は、日本の実業家。中日新聞社元社長。岐阜県出身[2]。
経歴・人物
[編集]1935年(昭和10年)、岐阜県海津郡東江村(海津町を経て現在の海津市)で安田順時の四男として出生、1960年(昭和35年)に同志社大学法学部を卒業[1][4]。同年に中部日本新聞社へ入社し[4]、常務の大島一芳から養嗣子に迎えられる[1]。
広告局次長を経て1991年(平成3年)に取締役となり、1997年(平成9年)に常務、2001年(平成13年)に名古屋本社代表[2][4]。2003年(平成15年)6月から2011年(平成25年)6月まで社長を務め、その間には2007年から横綱審議委員会委員に就任している[5][4]。2011年を以て社長職を小出宣昭に譲って退任し、副会長に就任した[6]。
また、2003年から2020年(令和2年)までは中日ドラゴンズの取締役を務めていた[7][8]。
家族
[編集]実父の安田順時は1932年(昭和7年)から東江村の村会議員を1期務めている[9]。養父の大島一芳は中日新聞の前身の1紙に当たる新愛知を創刊した大島宇吉の生家である小幡大島家の出身で、後に中日新聞社代表取締役となった。
参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録』第24版 上(1968年) NCID BN11953592
- 海津町役場『海津町史 通史編』上巻(1983年) NCID BN03145628
- 興信データ株式會社『人事興信録 第45版 上』興信データ、2009年。
出典
[編集]- ^ a b c d e f 人事興信録24版上(1968), お147頁
- ^ a b c 中日新聞広告局. “プレミアム対談・中村雅俊さんと考えるゆとりある休日の必要性と心の余裕”. 東建多度カントリークラブ・名古屋. 2023年2月8日閲覧。
- ^ “安田菊江さん死去/大島寅夫中日新聞社社長の母”. 四国新聞. (2004年1月27日) 2023年2月8日閲覧。
- ^ a b c d 興信データ株式會社 2009, お124頁.
- ^ 2007年1月26日 日本経済新聞 朝刊 P37
- ^ 2011年6月21日 日本経済新聞 朝刊 P2
- ^ 2003年3月26日 読売新聞 東京朝刊 P19
- ^ 中日 大島宇一郎氏がオーナー就任、白井文吾氏は名誉オーナーに― スポニチ Sponichi Annex 野球スポーツニッポン、2020年3月25日
- ^ 海津町史(1983), p758