大橋松二郎
大橋 松二郎(おおはし まつじろう、明治元年4月13日[1](1868年5月5日) - 大正9年(1920年)12月15日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会→立憲同志会→憲政会)、ジャーナリスト。
経歴
[編集]越前国吉田郡円山西村(現在の福井県福井市)出身[1]。1890年(明治23年)に『若越自由新聞』を創刊し、1894年(明治27年)には『若越新聞』と改題[1]。後に『若越新聞』を政友会福井支部の機関紙とした[1]。また農業においては馬耕の奨励や稲種改良に尽力した[3]。福井県会議員、同参事会員、同議長を歴任した[2]。その他、吉田郡農会長、吉田郡教育会長などを務めた[3]。
1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し当選。第12回衆議院議員総選挙でも再選された。
著書
[編集]- 『中清童観録』(1912年)
出典
[編集]参考文献
[編集]- 細井肇『現代日本の政治家』国光社、1916年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。