宇山厚
宇山 厚(うやま あつし、1912年5月23日 - 2003年7月5日)は、日本の外交官。台湾断交時の駐中華民国特命全権大使を経て、駐ブラジル特命全権大使を務めた。正三位勲一等瑞宝章。
人物・経歴
[編集]島根県出身[1]。松江高等学校を経て[2]、1937年東京帝国大学法学部政治学科卒業[3]。1949年外務省政務局経済課長[4]。1950年在サンフランシスコ日本政府在外事務所所長[5]。1952年外務省経済局第一課長[6]。
在オーストラリア日本国大使館参事官を経て[7]、1959年外務省アジア局兼大臣官房外務参事官[8]。1962年外務省アジア局賠償部長[9]。1963年在連合王国日本国大使館特命全権公使[10]。1967年駐イラン特命全権大使[11]。1968年初代在イラン日本国大使館付属日本人小学校校長[12]。
1969年駐インド特命全権大使[13]。1972年の台湾断交時の駐中華民国特命全権大使を経て[14][1]、1973年駐ブラジル特命全権大使[15]。1976年外務省顧問、エルネスト・ガイゼルブラジル大統領夫妻首席接伴員[16]。1981年日本ブータン友好協会幹事[17]。
トヨタ自動車工業顧問、トヨタ自動車販売顧問[18]、富士通顧問[19]、東京基督教大学特別講師[20]、東京松江会会長なども務めた[21]。1985年勲一等瑞宝章受章[22]。2003年高血圧性心不全のため新宿区の病院で死去[1]。同年叙正三位[23]。自宅は渋谷区代々木[1]。
親族
[編集]宇山家は宇多源氏佐々木氏の流れを汲む。田部長右衛門元島根県知事は従兄。妻の伊豆江は矢田七太郎元駐スイス特命全権公使の三女[24][1]。
系譜
[編集](田部長右衛門 (22代)) ┏宇山種之助━━━━━田部長右衛門 (23代) ┃ ┃ ┃ ┏宇山真 宇山清左衛門╋宇山昌太郎━━━━━┫ ┃ ┗宇山厚 ┃ 若槻克彦 ┃ ┃ ┃ ┏礼子 ┗━与志 ┏庄司廉━━━━┫ ┃ ┃ ┗庄司保親 ┃ ┃ ┣━━━━━━━┫ ┏節子 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃武田輝雄 庄司昇造 ┃ ┃ ┗庄司繁二郎━━╋昭子 ┃ ┃ ┃皿井五郎 ┃ ┗葉子 ┃ ┣━━━━相澤宏光 ┃ 相澤次郎━━相澤英之 ┃ ┏中島周 ┣━━━┫ ┃ ┗相澤英孝 周子 ┃ ┃ 塩川美佳
著書
[編集]- 『最近の国際情勢について』島根縣 1950年
- 『最近のブラジル事情』日本ブラジル中央協会 1976年
脚注
[編集]- ^ a b c d e 宇山厚氏死去/元駐ブラジル大使四国新聞2003/07/05 13:24
- ^ 旧制松江高等学校 OB島根大学
- ^ 東京大學卒業生氏名録
- ^ 官報昭和24年本紙第6719号 73頁
- ^ 在サンフランシスコ日本国総領事館の歴史外務省
- ^ 官報昭和27年本紙第7707号 258頁
- ^ 官報昭和31年本紙第8954号 656頁
- ^ 官報昭和34年本紙第9803号 513頁
- ^ 官報昭和37年本紙第10715号 93頁
- ^ 官報昭和38年本紙第11102号 7頁
- ^ 官報昭和42年本紙第12018号 7頁
- ^ テヘラン日本人学校の沿革在イラン日本国大使館附属日本人学校
- ^ 官報昭和44年本紙第12709号 17頁
- ^ 官報昭和47年本紙第13521号 10頁
- ^ 官報昭和48年本紙第13957号 13頁
- ^ 官報昭和51年本紙第14908号 8頁
- ^ 日本ブータン外交関係樹立30周年を祝う 霞関会
- ^ 月刊官界 7(8) 雑誌 (行研, 1981-08)
- ^ 世界経済リポート (139) 雑誌 (世界経済研究協会, 1981-08)
- ^ 世界経済評論 = World economic review 36(11)(447) 雑誌 (国際貿易投資研究所, 1992-11)
- ^ 日経地域情報 (148) 雑誌 日経産業消費研究所 編 (日経産業消費研究所, 1992-05)
- ^ 官報昭和60年本紙第17481号 14頁
- ^ 官報平成15年本紙第3668号 10頁
- ^ 人事興信録 第12版下
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