小林武史 (ヴァイオリニスト)
小林 武史 | |
---|---|
生誕 | 1931年2月11日(93歳) |
出身地 | インドネシア・スマトラ島 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ヴァイオリニスト |
担当楽器 | ヴァイオリン |
公式サイト | 公式HP「ヴァイオリニスト 小林武史の世界」 |
小林 武史(こばやし たけし、1931年2月11日 - )は、日本のヴァイオリニスト。
人物・来歴
[編集]インドネシア・スマトラ島出身[1]。当時父親の小林米作がコダックのスマトラ店で働いていた。
1941年、鈴木鎮一に師事。
1949年、第18回毎日音楽コンクールヴァイオリンの部 第1位。
1953年、ハチャトゥリアンのヴァイオリンコンチェルトを日本初演。
1961年、ブルノ国立フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターに就任。
1964年、オーストリア・リンツ・ブルックナー管弦楽団のコンサートマスターに就任。
1967年、読売日本交響楽団のコンサートマスターに就任。
1969年、ショスタコーヴィチのヴァイオリンコンチェルト第2番を日本初演。
1979年、伊福部昭のヴァイオリン協奏曲第2番をチェコスロヴァキア国立ブルノ・フィルハーモニーで初演。
1983年、チェコスロヴァキア・ブルノ市国際音楽祭で團伊玖磨のファンタジアをブルノ・フィルハーモニーと世界初演。
1988年度、第43回文化庁芸術祭賞(音楽部門)受賞。1996年度、第51回同賞(音楽部門大賞)受賞[2]。
精力的に海外演奏活動を行い、国際交流基金文化使節としても活躍。ヴェネズエラでのスズキ・メソードに基づいた教育活動が、同国の文化政策エル・システマ成立に大きな役割を果たした[3]。
コレギウム・ムジクム東京主宰、宮城・中新田バッハホール音楽院院長。
家族
[編集]父は、科学映画制作者の小林米作。
実弟に、同じくヴァイオリニストの小林健次(東京都交響楽団 元ソロ・コンサートマスター、桐朋学園大学教授)。
著書
[編集]- 『ヴァイオリン一挺、世界独り歩き』芸術現代社、1980年
- 『ファンタジア わが人生』神奈川新聞社、2013年
脚注
[編集]注釈・出典
[編集]- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.508
- ^ 「文化庁芸術祭賞受賞一覧 Archived 2010年12月27日, at the Wayback Machine.」『文化庁』。
- ^ 山田真一『エル・システマ - 音楽で貧困を救う南米ベネズエラの社会政策』(教育評論社、2008年) ISBN 9784905706335
外部リンク
[編集]