懐機

懐機(かいき)は、琉球国第一尚氏王統国相中国から派遣された人物だという説があり、第一尚氏王統の始祖である尚思紹から第5代国王尚金福までの、王に仕えたとされる[1]

人物

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進貢長史として懐機が琉球に派遣されている。

王茂の次の年代に国相となり、尚金福王代には、離れ島だった那覇浮島をつなぐ石橋(長虹堤)の土木工事の指揮を執っている。

尚思紹・尚巴志・尚忠・尚思達・尚金福の第一尚氏王統五代の王に仕え、国公と呼ばれる[2]

しかし近年いしゐのぞむの以下の新説により懷機像は大きく轉換しつつある。「おもろさうし」78番(卷二)に、越来按司の子「(ま)たちよもい」が尚泰久であることは定説だが、別途卷十五の「宇座のたちよもい」を泰期とする舊説は誤りであり、兩者はともに同一の尚泰久=懷機=國公道球である。尚泰久が懷機といふ漢字名(越來の福建字音)で座喜味城の長濱で南海貿易を行なひ、國公(越來及び懷機の同音)の道球(泰久の同音)として『琉球國由來記』卷十に記録されたのである[3] [4][5] [6]

参考

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  1. ^ 新 琉球王統史 ③ 思紹王、尚巴志王・尚泰久王. 新星出版株式会社. (二〇〇六年八月二五日 第二刷発行) 
  2. ^ OD版 球陽 原文編. 株式会社KADOKAWA. (2011年11月25日) 
  3. ^ いしゐのぞむ「古琉球史を書き換へる」『純心人文研究』第28号、長崎純心大学、2022年2月、213-240頁、CRID 1050291768469112064ISSN 13412027国立国会図書館書誌ID:032010890 
    及び八重山日報日曜談話連載「小チャイナと大世界」126~129、令和四年六月。https://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0220605.html https://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0220626.html 及び「尖閣島名の淵源(下)補説」、『純心人文研究』29、令和五年二月。  https://n-junshin.repo.nii.ac.jp/records/267   。
  4. ^   「統一独立の琉球なかった」 石井氏が新説、第一尚氏も否定 八重山日報令和六年六月十六日 https://yaeyama-nippo.co.jp/archives/23433 
  5. ^  https://www.youtube.com/watch?v=FrlYXLGECuY 「琉球史の定説を覆す”新琉球史” 三山統一は真っ赤な嘘!」石井望、日本沖縄政策研究フォーラム、R6/6/25、チャンネル桜沖縄支局「沖縄の声」
  6. ^ いしゐのぞむ「驚愕の古琉球史」、『純心人文研究』第30号、令和6年(2024年)2月。https://ci.nii.ac.jp/ncid/AN10486493

外部リンク

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