望月長夫
望月 長夫(もちづき おさお、文久4年1月10日(1864年2月17日) - 1920年(大正9年)2月10日[1])は、日本の衆議院議員(憲政本党→立憲国民党)、弁護士。
経歴
[編集]近江国甲賀郡水口村(現在の滋賀県甲賀市)出身。1878年(明治11年)に大津師範学校に入学したが、家の事情で中途退学を余儀なくされた。1887年(明治20年)、東京に出て明治法律学校(現在の明治大学)に入学した。1889年(明治22年)に卒業した後、1892年(明治25年)に弁護士の資格を得た。1894年(明治27年)、大津弁護士会副会長に選出され、翌年には会長に就任した。
また1894年には、滋賀県会議員に選出された。1898年(明治31年)、第6回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、6回当選を重ねた。
脚注
[編集]- ^ 『官報』第2256号、大正9年2月13日
参考文献
[編集]- 山崎謙編『衆議院議員列伝』衆議院議員列伝発行所、1901年。