木村昌平 (セコム)
木村 昌平(きむら しょうへい、1943年5月2日 - 2018年7月21日[1])は、日本の経営者。セコム社長を務めた[2]。北海道出身[2]。
経歴
[編集]1961年に同志社大学文学部を卒業し、同年にセコムに入社[2]。
1975年2月に取締役に就任し、1988年2月に常務、1995年6月に専務を経て、2002年4月に社長に就任[2]。2005年4月に会長に就任[3]。2016年6月に相談役に就任[1]。40歳代の初め頃には、セコム創業者の飯田亮から「俺が興味があるのは、お前がどこまで成長するかだ」と言わしめた人物であった[4]。
社外では全国警備業協会4代目会長[5]、空港保安事業センター評議員、日本救急医療財団理事、日本情報システムユーザー協会常任理事、中央大学大学院客員教授などを歴任した[6]。全国警備業協会の会長としては、協会の一般社団法人への移行を手がけた[4]。
晩年は知己の陶芸家の誘いもあって栃木県益子町に移り住み、講話会「益子昌平塾」を主宰[4][7]。益子大使にも任命されていた[8]。病気療養していたところ、2018年7月21日に死去。75歳没[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c “【訃報】 相談役 木村昌平 逝去のお知らせ”. セコム株式会社 (2018年7月27日). 2023年2月15日閲覧。
- ^ a b c d 人事興信所 2009, き27頁.
- ^ 2004年 11月25日 日本経済新聞 夕刊 p3
- ^ a b c “木村昌平氏が死去 セコム、全警協会長を歴任”. 警備保障タイムズ. クローズアップ (2018年8月21日). 2023年2月15日閲覧。
- ^ “木村昌平会長が(社)全国警備業協会の新会長に”. 金曜コラム セコムニュース. セコム株式会社 (2010年7月9日). 2023年2月15日閲覧。
- ^ “塾長プロフィール”. 益子昌平塾. 2023年2月15日閲覧。
- ^ “木村昌平さん「偲ぶ会」 100余人が別れ惜しむ”. 警備保障タイムズ. クローズアップ (2018年11月1日). 2023年2月15日閲覧。
- ^ “移住した元セコム会長の木村さん 道の駅ましこにAED寄贈”. 下野新聞 SOON(スーン). (2018年4月26日) 2023年2月15日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第45版 上』人事興信所、2009年。
外部リンク
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