東林院 (鳴門市)

東林院
本坊(持仏堂)
本坊(持仏堂)
所在地 徳島県鳴門市大麻町大谷山田59
位置 北緯34度9分41.14秒 東経134度32分9.98秒 / 北緯34.1614278度 東経134.5361056度 / 34.1614278; 134.5361056 (東林院)座標: 北緯34度9分41.14秒 東経134度32分9.98秒 / 北緯34.1614278度 東経134.5361056度 / 34.1614278; 134.5361056 (東林院)
山号 八葉山
院号 東林院
宗派 高野山真言宗
本尊 薬師如来愛染明王
創建年 伝・天平5年(733年
開山 伝・行基
正式名 八葉山 神宮寺 東林院
別称 種蒔弘法大師、種蒔大師
札所等 四国八十八箇所1番奥の院
新四国曼荼羅霊場1番
阿波北嶺薬師霊場16番
文化財 木造弥勒菩薩坐像(国の重要文化財)
公式サイト 〈種蒔大師〉東林院
法人番号 2480005003460 ウィキデータを編集
東林院 (鳴門市)の位置(徳島県内)
東林院
東林院
地図
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東林院(とうりんいん)は徳島県鳴門市大麻町大谷に所在する高野山真言宗の寺院。八葉山 神宮寺[注釈 1] 東林院と号す。本尊は薬師如来愛染明王四国八十八箇所霊場第一番札所奥の院、新四国曼荼羅霊場第一番札所、阿波北嶺薬師霊場第十六番札所。別名、種蒔弘法大師種蒔大師と呼ばれる。

  • 御詠歌:種蒔きし 稲穂みのりて 栄えゆく 大師の恵み 仰げもろびと

概要

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寺伝によれば奈良時代天平5年(733年)に行基によって建立されたと伝えられている。

かつては、薬王寺太龍寺鶴林寺隆禅寺神応寺瑞川院荘厳院と並ぶ阿波国八門首阿波八本寺)の一寺院に数えられ、末寺16か寺を持つ大寺であった。

平安時代前期の大同3 – 4年(808年 – 809年)に空海(弘法大師)がここを訪れ、住民に真言の教えを伝えるとともに農業振興を奨励したと言われる。伝承によれば、空海自らを取りの種を蒔き、災害の調伏を行ったとされ、これにより当寺院は「種蒔弘法大師」と称されるようになった。 江戸時代前期の元禄13年(1700年)前後に大火に遭い伽藍の大半を焼亡した。これ以後、寺院は縮小した。

なお、東林院には大谷焼の陶祖の文右衛門の墓として窯業関係者の間で大切にされてきたがあるが、大谷焼研究家の豊田進の調査によって萬七の墓であることがわかり、大谷焼の陶祖は萬七であることが判明している(萬七と文右衛門が同一人物かは分かっていない)[2]。毎年11月の第2土曜日・日曜日に境内において、陶器市「大谷焼 窯まつり」が行なわれる。

境内

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原爆の火
  • 本堂:本尊は薬師如来(札所本尊)
  • 大師堂:本尊は種蒔大師(弘法大師)。当寺の信仰上の中心は大師堂で本堂よりひと回り大きい。大師像は背後の別棟の収蔵庫に。
  • 本坊:昭和59年(1984年)新築、本尊は愛染明王
  • 穴観音古墳
  • 鐘楼堂
  • 原爆の火:1990年より霊山寺で灯されていたが2010年に終了、その後、2012年8月6日より当寺で原爆の火が灯されることとなった。

県道12号より、宇志比古神社の参道を入って行くと左側に当寺がある。本坊の前に駐車場が無料で有り、その右奥に大師堂があり、その左にひっそりと本堂がある。

文化財

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重要文化財
木造弥勒菩薩坐像 檜の寄木造り、像高96cm、平安時代後期作、平成14年6月26日指定[3][4]
徳島県指定有形文化財
絹本著色阿弥陀尊来迎図 昭34年9月11日指定[5]

前後の札所

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四国八十八箇所
1番奥の院 東林院 --(4.0 km)-- 1番 霊山寺 --(1.2 km)-- 2番 極楽寺
新四国曼荼羅霊場
88番 黒瀧寺 --- 1番 東林院 --- 2番 長谷寺

脚注

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注釈

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  1. ^ 大谷八幡宮(現:宇志比古神社)の元別当寺であり、「神宮寺」は当時の多くの塔頭の中の本寺の寺号[1]

出典

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  1. ^ 東林院の歴史(寺院公式サイト)
  2. ^ 史跡 萬七の墓”. 鳴門市. 2021年3月10日閲覧。
  3. ^ 木造弥勒菩薩坐像 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  4. ^ 国指定重要文化財(彫刻) 木造弥勒菩薩坐像”. 渦の国 鳴門~ 魅力あふれる鳴門の街 ~. 鳴門市. 2023年8月27日閲覧。
  5. ^ 有形文化財絵画 絹本著色絹本阿弥陀尊来迎図”. 鳴門市. 2023年8月27日閲覧。

外部リンク

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