松原治
松原 治(まつばら おさむ、1917年〈大正6年〉10月7日 - 2012年〈平成24年〉1月3日)は、日本の実業家。紀伊國屋書店名誉会長などを務めた。
略歴
[編集]山口県佐波郡徳地町(現在の山口市)に軍人の息子として生まれる。のちに父は電柱の銘板を取り扱う会社を経営していた[1]。
大阪市築港南尋常高等小学校を卒業した1930年(昭和5年)、大阪府立市岡中学校(旧制)に入学[2]。旧制浪速高等学校を経て東京帝国大学法学部に進む。同期に中曾根康弘がいた。
卒業後は南満洲鉄道に入社するも召集を受け、陸軍経理学校を首席卒業。中国各地を転戦し、陸軍主計中尉として太平洋戦争の敗戦を迎える。
復員後、1946年、大日本塩業株式会社に取締役業務部長として入社。1950年、東大の先輩の亀井茲建の招きで紀伊國屋書店に入社。大番頭として田辺茂一を補佐し、紀伊國屋書店の事業拡大に貢献した。
1970年、代表取締役専務に就任。1980年に代表取締役社長、1999年(平成11年)に代表取締役会長を兼任[2]、2002年代表取締役会長兼最高経営責任者(CEO)。2010年に代表取締役会長兼CEOを退任し、名誉会長へと退いた[3]が生涯現役として影響力を保持し続けた。
2012年1月3日、心不全のため死去、94歳[3][4][5]。
人物
[編集]紀伊國屋演劇賞の受賞者は、つかこうへいや井上ひさし、野田秀樹、鴻上尚史らで、演劇の発展に貢献した。受賞者のひとり井上は遅筆のため、紀伊國屋ホールでの公演も初日が延びたり中止になったこともあったが、松原は紀伊國屋書店の社長として「井上先生だから待て」と指示。次の公演でホールを貸しており、「良質な演劇を提供したい」という信念を持っていた[6]。
著書
[編集]評伝小説
[編集]親族
[編集]脚注
[編集]- ^ “私の履歴書 ③ 松原(まつばら) 治(おさむ)”. 東京市岡会(大阪府立市岡高等学校同窓会の東京支部). 2020年10月11日閲覧。
- ^ a b “2009年 東京市岡会50周年記念号”. 東京市岡会(大阪府立市岡高等学校同窓会の東京支部) (2009年5月10日). 2020年10月11日閲覧。
- ^ a b c “松原治氏が死去 元紀伊国屋書店社長”. 日本経済新聞. (2012年1月3日) 2012年1月14日閲覧。
- ^ a b “訃報:松原治さん94歳=紀伊国屋書店名誉会長”. 毎日新聞. (2012年1月3日) 2012年1月14日閲覧。
- ^ “元紀伊国屋書店社長の松原治さん死去”. 朝日新聞. (2012年1月3日) 2012年1月3日閲覧。
- ^ “【紀伊國屋ホール50周年】(上)高井昌史社長に聞く 演劇の聖地 文化守る決意”. 産経新聞. (2014年7月6日) 2020年10月11日閲覧。