松平容貞
松平容貞像(土津神社所蔵) | |
時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 享保9年8月16日(1724年10月2日) |
死没 | 寛延3年9月27日(1750年10月26日) |
改名 | 長菊(幼名)→容貞 |
神号 | 土常霊神 |
墓所 | 福島県会津若松市の東山町の会津藩主松平家墓所 |
官位 | 従四位下侍従兼肥後守、左近衛権少将 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗→家重 |
藩 | 陸奥会津藩主 |
氏族 | 会津松平家 |
父母 | 父:松平正容、母:本妙院 |
兄弟 | 元姫、正邦、春之助、正甫、栄之丞、 順姫、正房、万吉、養姫、政五郎、容貞、常姫、容章 |
妻 | 正室:松平頼豊娘・登茂 側室:貴養、安恵氏、中村氏 |
子 | 容頌、貞歴、員 |
松平 容貞(まつだいら かたさだ)は、江戸時代中期の大名。陸奥国会津藩4代藩主。官位は従四位下・侍従兼肥後守、左近衛権少将。会津松平家第4代。
生涯
[編集]松平正容の八男として誕生。
享保16年(1731年)、父・正容の死去に伴い家督を相続する。享保20年(1735年)、8代将軍・徳川吉宗に拝謁し、 従四位下侍従兼肥後守に叙任。元文5年(1740年)、左近衛権少将に転任。寛延2年(1749年)12月、農民達による打ち壊しが発生し城下に及び、本年分の年貢の半減しこれを鎮めた。
寛延3年(1750年)、死去。享年27。家督は長男・容頌が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 登茂、友、正覚院 ー 松平頼豊の娘
側室
- 貴養 ー 三田伊皿子の商家館新兵衛の娘
- 安恵氏
- 中村氏
子女