松平康員
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 延宝7年(1679年) |
死没 | 正徳3年3月22日(1713年4月16日) |
改名 | 仙次郎、源之助(幼名)、康員 |
別名 | 康倫、康博 |
戒名 | 泰巌院殿安誉知性春道大居士 |
墓所 | 東京都港区虎ノ門の天徳寺 埼玉県川越市小仙波町の光西寺 |
官位 | 従五位下・采女正、和泉守、備中守、周防守、伊勢守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉→家宣 |
藩 | 石見浜田藩主 |
氏族 | 松井松平家 |
父母 | 父:松平康官、母:阿部正能の娘 |
兄弟 | 康員、康房 |
妻 | 久世重之の娘 |
子 | 養子:康房、康豊 |
松平 康員(まつだいら やすかず)は、石見国浜田藩の第3代藩主。松井松平家4代。
生涯
[編集]延宝7年(1679年)、第2代藩主・松平康官の長男として生まれる。元禄6年12月18日(1694年)、従五位下・采女正に叙位・任官する。元禄8年(1695年)1月22日に和泉守に遷任し、元禄13年(1700年)に備中守に遷任する。宝永2年(1705年)1月27日、父の隠居で家督を継ぎ、4月1日に周防守に遷任する。
宝永6年(1709年)9月18日、家督を養子の康豊に譲って隠居し、伊勢守に遷任する。正徳3年(1713年)3月22日、江戸で死去した。享年35。
系譜
[編集]父母
正室
- 久世重之の娘
養子