析津府
析津府(せきしんふ)は、中国にかつて存在した府。遼代から金代にかけて、現在の北京市一帯に設置された。
遼代の南京析津府
[編集]938年(会同元年)、契丹により幽州は南京に昇格し[1]、幽都府と改められた。1012年(開泰元年)、幽都府は析津府と改称された[2]。南京析津府は南京道に属し、析津・宛平・昌平・良郷・潞・安次・永清・武清・香河・玉河・漷陰の11県と順州・檀州・涿州・薊州・易州・景州の6州を管轄した[3]。
金代の大興府
[編集]1153年(貞元元年)、金により析津府は大興府と改称され、中都が置かれた。大興府は中都路に属し、大興・宛平・昌平・良郷・安次・永清・武清・香河・宝坻・漷陰の10県と広陽鎮を管轄した[4]。
元代の大都路
[編集]1284年(至元21年)、元により大興府は大都路総管府と改められた。大都路は中書省に属し、右警巡院・左警巡院と以下の10州22県を管轄した[5]。
- 直属:大興県・宛平県・昌平県・良郷県・永清県・宝坻県
- 涿州に属する:范陽県・房山県
- 覇州に属する:益津県・文安県・大城県・保定県
- 通州に属する:潞県・三河県
- 薊州に属する:漁陽県・玉田県・豊潤県・遵化県・平谷県
- 漷州に属する:香河県・武清県
- 順州
- 檀州
- 東安州
- 固安州
- 竜慶州に属する:懐来県
明代
[編集]1368年(洪武元年)、明により大都路が北平府と改められた。1370年(洪武3年)、北平に燕王朱棣の王府が置かれた。1403年(永楽元年)、北京に昇格し、北平府は順天府と改称された。