柳河町
やながわまち 柳河町 | |
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廃止日 | 1951年4月1日 |
廃止理由 | 新設合併 柳河町、城内村、沖端村、西宮永村、東宮永村、両開村 → 柳川町 |
現在の自治体 | 柳川市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 福岡県 |
郡 | 山門郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 | 7,273人 (『角川日本地名大辞典』40 福岡県、1379頁、1912年) |
隣接自治体 | 三橋村、東宮永村、城内村、沖端村 |
柳河町役場 | |
所在地 | 福岡県山門郡柳河町京町 |
ウィキプロジェクト |
柳河町(やながわまち)は、福岡県山門郡にあった町。現在の柳川市の一部。
地理
[編集]歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、山門郡柳河市街29町(新町、東魚屋町、出来町、細工町、恵比須町、旭町、隅町、横山町、曙町、小道具町、北長柄町、南長柄町、椿春町、瀬高町、八軒町、常盤町、上町、中町、辻町、片原町、八百屋町、西魚屋町、鍛冶屋町、麹屋町、材木町、蟹町、外町、本船津町、新船津町)、筑紫村(一部、字元町)が合併して町制施行し、柳河町が発足[2][3]。
- 1908年(明治41年)- 電話施設設置[2]
- 1909年(明治42年)- 佐賀銀行柳河支店設置[2]
- 1927年(昭和2年)- 町上水道設置[2]
- 1932年(昭和7年)- 瀬高町を京町に改称[2]。
- 1947年(昭和22年)- 山門商工会議所設立[2]
- 1949年(昭和24年)5月28日 - 昭和天皇が町内に行幸(昭和天皇の戦後巡幸)[4]。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 山門郡城内村、沖端村、西宮永村、東宮永村、両開村と合併して柳川町を新設して廃止された[2][3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 40 福岡県
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。