横溝正史疎開宅
横溝正史疎開宅 | |
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所在地 | 岡山県倉敷市真備町岡田1546番地 |
位置 | 北緯34度39分00.3秒 東経133度42分21.8秒 / 北緯34.650083度 東経133.706056度座標: 北緯34度39分00.3秒 東経133度42分21.8秒 / 北緯34.650083度 東経133.706056度 |
旧所在地 | 岡山県吉備郡岡田村字桜 |
類型 | 農家 |
形式・構造 | 木造瓦葺き平屋建[1] |
敷地面積 | 491.56平方メートル[1] |
延床面積 | 106.10平方メートル[1] |
建築年 | 明治時代初期(推定)[注 1][2] |
所在施設・区域 | 真備地区 |
横溝正史疎開宅(よこみぞせいしそかいたく)は、岡山県倉敷市真備町にある建築物。推理作家の横溝正史が第二次世界大戦末期の1945年から終戦後の1948年7月までの足かけ4年を一家で過ごした家である。
疎開宅は横溝の生誕100年にあたる2002年より一般公開されている[3]。来館者には、来館記念として「桜地区」[注 2] と金田一耕助をイメージした手作りの桜の花のストラップが配付されている[注 3][注 4]。
清音駅(JR伯備線・井原鉄道)を始点として川辺宿駅(井原鉄道)にいたる「金田一耕助の小径」(ウォーキングコース)の道中にある。
- 疎開宅の全景。
- 執筆の間の床の間
- 疎開宅の疎開当時の平面図
概要
[編集]横溝は1945年、義理の姉からの疎開の勧めに応じて、吉祥寺の家を引き払い、夫人と3人の子供を連れて、親戚の手引により、4月の終わりから5月上旬にかけて両親の出身地に近い岡山県吉備郡岡田村字桜(現・倉敷市真備町岡田)に疎開した[4]。
横溝は岡田村の人々と交わり、畑でジャガイモ作りなどに精を出しながら、村の親しかった人達から農村の因習や農漁民の生活などの話を聞いて作品の構想をあたため、終戦後、『本陣殺人事件』『獄門島』『八つ墓村』などの多くの名作を疎開宅で執筆した[6][注 5]。
横溝は後年、この時期を「いまにして思えば、そろそろ70年に近いわたしの人生においても、もっとも楽しい時期だったのではなかろうか」と述懐している[8]。
1948年7月31日、横溝が家族とともに東京に戻った[9]後、疎開宅は別の所有者の手に渡ったが、2002年、所有者が家を手放す可能性を知った近隣住民が「先生の家が取り壊されてはならない」と働きかけ、当時の真備町(倉敷市と合併)が買い取り、住民らが疎開宅の管理組合を結成して保存することとなった[10]。
その後、疎開宅は様々な人の協力と尽力により、「横溝正史疎開宅」として2002年10月15日に開館、一般公開するに至った[11][1]。現在、倉敷市からの委託を受けて、住民有志らで構成される「横溝正史疎開宅管理組合」によって運営されている[12]。建物内は当時の面影を残し、特に庭のたたずまいは当時のままとなっている[13]。
- 疎開宅での暮らしを描いたイラスト。
- 庭と縁側。
- 執筆の間から眺めた庭。
展示物
[編集]疎開宅の間取りは横溝の疎開当時の状態をほぼ再現されており[11]、家族や江戸川乱歩と写っている写真や[11]、横溝と妻の遺品などが展示されている[14]。
奥座敷では障子に金田一耕助のシルエットが映し出されるとともに、横溝正史の音声解説が流されるようになっている[11]。
- 土間
年表や写真が飾られている。右上の写真が横溝正史像の基となっている。 - 横溝正史像
庭に設置されている。像は疎開宅での写真を基に作られている。
施設情報
[編集]交通アクセス
[編集]- 川辺宿駅の地上入口
金田一耕助の看板に「ミステリー遊歩道起点」と記されている。
周辺の関連施設・史跡
[編集]- 横溝正史コーナーが設けられ、書斎の一部が再現されているほか[16]、遺品や作品などが展示されている[17]。
- 建物の前には金田一耕助像が設置されている。
- 2023年3月に新しく作成されたパンフレットは、横溝正史疎開宅とセットになっている[18]。
- 濃茶の祠(こいちゃのほこら)
- 吉備津神社本殿の「艮」(丑と寅の間=北東)に祀られている艮御崎宮を勧請した神社[27]。
- 『車井戸はなぜ軋る』で「かたしろ絵馬」が納められた絵馬堂がある「御崎様」のモデルの神社とみなされている[28]。
- 『本陣殺人事件』で、事件の舞台となる一柳家が「川―村」の宿場の本陣から「岡―村」に移ってきたと説明されている[29][注 10]。
- 川辺本陣一帯は1893年、明治26年の洪水により大被害を受け、本陣そのものが流失してしまい、本陣の資料も残っていない[30]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 2002年1月に全面改修。
- ^ 「桜」は、横溝が疎開していた当時の吉備郡岡田村字桜の字名で[4]、現在は倉敷市真備町岡田地区における小字名である[5]。
- ^ 山陽新聞デジタル(さんデジ)による横溝正史疎開宅のYouTube動画には、2分1秒から2分4秒までの3秒間、桜の花のストラップの台紙側が映っている[3]。
- ^ 2022年11月以降も配付されているかは不明。
- ^ 名探偵金田一耕助のキャラクターは、1946年4月24日にこの疎開宅で生まれたことになる[7]。
- ^ 『空蝉処女』に、「そこは私の家から五分あまりの距離で、周囲の水田のなかに、擂鉢をさかさに伏せたように盛りあがった丘があり、その丘の一部に、このへんとしては珍しく大きな池が掘ってあるのだった」、「左を見ると池の中に小さな島が突出していて、その島にまつってある祠が、水のうえにあざやかな影を落していた。」と記述されている[20]。
- ^ 横溝正史疎開宅で配付されている「横溝正史疎開宅 - 真備ふるさと歴史館 周辺」図に、疎開宅の西側の塀沿いの小道の行き当たり先が「桜大師」と表記されている[24]。
- ^ 『真備町史』の「十二、金剛寺」に「通称桜のお大師様」と記載されている[25]。
- ^ 横溝正史自身は『金田一耕助のモノローグ』に「桜のお大師さん」と記載している[26]。
- ^ 川辺村と岡田村が伏せ字で「川―村」「岡―村」と記されている。
出典
[編集]- ^ a b c d 「文化産業委員会」『市政概要』(令和5年度版)倉敷市議会事務局、2023年8月、386-387頁 。「開館年月日 平成14年10月15日」
- ^ 「文化施設」『倉敷市公共施設個別計画』(2022~2031)倉敷市、2022年3月、31頁 。
- ^ a b 備中ひと・風・景~高梁川流域百選(50)横溝正史疎開宅(倉敷市真備町岡田) - YouTube
- ^ a b 横溝正史『金田一耕助のモノローグ』角川書店〈角川文庫〉、1993年11月10日、8-25頁。
- ^ 今津海(2022), p. 27.
- ^ a b c “横溝正史疎開宅”. 倉敷市 文化産業局 文化観光部 文化振興課. 倉敷市. 2023年1月2日閲覧。
- ^ お知らせ:令和5年度 第8回「金田一耕助春の誕生会in桜」の開催について(倉敷市)(2023年9月6日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ 横溝正史『探偵小説五十年』講談社、1977年、218頁。「「本陣」「蝶々」の頃のこと(初出:『推理小説研究』1969年12月)」
- ^ 横溝正史『金田一耕助のモノローグ』角川書店〈角川文庫〉、1993年11月10日、128頁。
- ^ a b c 堤浩一郎「舞台をゆく 横溝正史が疎開、岡山・真備 風土と人、息づく名推理」『毎日新聞 大阪夕刊』毎日新聞社、2021年12月3日。。
- ^ a b c d “高梁川流域キッズ 横溝正史疎開宅”. 高梁川流域キッズ. 高梁川流域連盟. 2023年1月2日閲覧。
- ^ 今津海(2022), p. 25.
- ^ 「真備の横溝正史疎開宅、水害免れ開館中 「日常を守る」」『朝日新聞デジタル』朝日新聞社、2018年7月20日。オリジナルの2023年1月3日時点におけるアーカイブ。2023年1月2日閲覧。
- ^ a b “横溝正史疎開宅 〜 名探偵金田一耕助が生まれ、国民的作家が住んだ家”. 倉敷とことこ. 一般社団法人はれとこ. 2023年1月2日閲覧。
- ^ 「横溝正史疎開宅・真備ふるさと歴史館」パンフレットのINFORMATION。
- ^ “倉敷市真備ふるさと歴史館”. 倉敷市 文化産業局 商工労働部 商工課. 倉敷市. 2022年12月31日閲覧。
- ^ “高梁川流域キッズ 倉敷市真備ふるさと歴史館”. 高梁川流域キッズ. 高梁川流域連盟. 2023年1月2日閲覧。
- ^ 「横溝正史疎開宅・真備ふるさと歴史館」パンフレット。
- ^ “大池の弁天様”. 真備地区ガイドブック. 倉敷市役所. 2023年5月27日閲覧。
- ^ 横溝正史 著、日下三蔵 編『横溝正史ミステリ短編コレクション6 空蝉処女』柏書房株式会社、2018年6月5日、272-273頁。「空蝉処女」
- ^ 『仏さまのお話 千光寺版』(千光寺・山本道雄著、2000年)裏表紙の「お願い」。
- ^ 「巡・金田一耕助の小径」実行委員会『巡・金田一耕助の小径 ミステリーガイドブック』2021年3月31日増補改訂版 7ページ。
- ^ “金剛寺”. 日本の神社・寺院の検索サイト 八百万の神. 2023年1月2日閲覧。
- ^ a b 「横溝正史疎開宅 - 真備ふるさと歴史館 周辺」図。
- ^ a b 真備町史編纂委員会 編『真備町史』岡山県吉備郡真備町、1979年5月、530-531頁。「十二、金剛寺」
- ^ a b 横溝正史『金田一耕助のモノローグ』角川書店〈角川文庫〉、1993年11月10日、25頁。
- ^ 川辺地区社協だより 第45号 2021年(令和3年)11月 川辺地区社会福祉協議会
- ^ 『巡・金田一耕助の小径ミステリーガイドブック』(「巡・金田一耕助の小径」実行委員会、2021年3月31日増補改訂版)5ページ。
- ^ 角川文庫『本陣殺人事件』「本陣の末裔」。
- ^ 真備町史編纂委員会 編『真備町史』岡山県吉備郡真備町、1979年5月、481-487頁。「川辺本陣」
参考文献
[編集]- 今津海「研究ノート:岡山県倉敷市真備町岡田地区における地域愛着意識とその構造」『地域デザイン』第11号、一般社団法人 地域デザイン学会、2018年3月、193-209頁。
- 今津海「岡山県倉敷市真備町岡田地区における地域主体型イベントの取り組み――“金田一耕助 春の誕生会 in 桜”を事例として」『都市計画報告集』第21巻第1号、公益社団法人 日本都市計画学会、2022年6月、24-27頁、doi:10.11361/reportscpij.21.1_24。