浅井政高
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 永禄4年(1561年) |
死没 | 慶長20年5月8日(1615年6月4日) |
別名 | 田尾茂右衛門/茂左衛門 |
主君 | 豊臣秀頼 |
氏族 | 浅井氏 |
父母 | 養父:田屋明政 |
妻 | 海津局 |
子 | 三好直政 |
浅井 政高(あざい まさたか)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。通称は茂右衛門/茂左衛門。
略歴
[編集]実父は不明だが、家譜によれば、田屋明政の甥だという。その明政の婿養子となって、その娘(海津局)を妻とした。
初めは生田姓、後に田尾姓を経て、浅井姓を称した[要出典]。
慶長20年(1615年)、大阪夏の陣における落城に際し、大坂城内で討ち死にした。享年55。
子の直政は海津局と千姫に従って城を脱出し、浅井姓を捨て外戚の三好姓に改めて三好直政を名乗り、江戸幕府で将軍徳川秀忠に仕えて御小姓番士となり、月俸百口となる。孫の三好政盛は徳川家光の小姓として愛され、二千石の厚遇をえて、旗本・三好家の祖となった。直政の室は明石全登の娘。
参考文献
[編集]- 堀田正敦『国立国会図書館デジタルコレクション 寛政重脩諸家譜. 第4輯』國民圖書、1923年、990頁 。
- 阿部猛; 西村圭子 編『戦国人名事典』(コンパクト)新人物往来社、1990年、25頁。ISBN 4404017529。