満洲国駐箚特命全権大使
満洲国駐箚特命全権大使(まんしゅうこくちゅうさつとくめいぜんけんたいし)は大日本帝国が満洲国(1932年3月 - 1945年8月)に派遣した特命全権大使。在満洲国日本大使、日本国特命全権大使と表現されることもある。
大使はいずれも軍人である関東軍司令官(1942年10月以降は関東軍総司令官)が兼任し、さらに関東庁が廃止される1934年12月までは関東長官を兼ねた。また関東庁廃止により在満洲国日本大使館に関東局が設けられるとその事務を統理することになり、関東州および南満洲鉄道附属地の行政権を有する特殊な大使となった。
歴代大使
[編集]氏名 | 駐箚発令 | 着任[1] | 退任 |
---|---|---|---|
武藤信義 | 1932年(昭和 7年・大同元年)11月30日[2] | 12月 | 1日1933年(昭和[3] | 8年・大同 2年) 7月28日
菱刈隆 | 1933年(昭和[4] | 8年・大同 2年) 7月28日8月22日 | 1934年(昭和[5] | 9年・康徳元年)12月10日
南次郎※ | 1934年(昭和康徳元年)12月10日[5] | 9年・12月25日 | 1936年(昭和11年・康徳[6] | 3年) 3月 6日
植田謙吉 | 1936年(昭和11年・康徳[6] | 3年) 3月 6日3月28日 | 1939年(昭和14年・康徳[7] | 6年) 9月 7日
梅津美治郎 | 1939年(昭和14年・康徳[7] | 6年) 9月 7日9月10日 | 1944年(昭和19年・康徳11年)[8] | 7月18日
山田乙三 | 1944年(昭和19年・康徳11年)[8] | 7月18日7月18日 |
脚注
[編集]- ^ 外務省編纂 『日本外交年表竝主要文書 下』 原書房、1966年1月、附表30-31頁。
- ^ 『官報』第1777号、1932年12月1日、8頁。
- ^ 「戦地其他死亡者」(『官報』第1979号、1933年8月5日、彙報・陸海軍欄)。「御弔電並御答電」(同第1975号、1933年8月1日、宮廷録事欄)。
- ^ 『官報』第1973号、1933年7月29日、799頁。
- ^ a b 『官報』第2384号、1934年12月11日、295頁。
- ^ a b 『官報』第2752号、1936年3月7日、145-146頁。
- ^ a b 『官報』第3804号、1939年9月8日、265頁。
- ^ a b 『官報』第5253号、1944年7月19日、286頁。