熊谷典文

熊谷 典文(くまがい よしふみ、1915年大正4年)11月30日 - 1999年平成11年)4月1日[1])は、日本官僚通商産業事務次官で退官後、住友金属工業社長・会長。

来歴・人物

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島根県浜田市出身。浜田中学[2]六高を経て、1939年(昭和14年) 東京帝国大学法学部法科を卒業し住友本社に入社する[1][3]

翌年、商工省(後、通産省)入省[3]。同期に、吉國一郎小島慶三など。

戦後、通産省重工業局長[1][3]官房[1]公益事業局[1]企業局[1][3]を経て、1968年(昭和43年) 通産事務次官就任[3]八幡製鐵富士製鐵の合併を推進した[3]

1969年(昭和44年)に退官し、1971年(昭和46年)住友金属工業に入社[3]、常務に就任[1]1972年(昭和47年)専務、1976年(昭和51年)副社長を経て、1978年(昭和53年)6月に社長に就任[3]1986年(昭和61年)6月会長[3]1988年(昭和63年)6月から1998年(平成10年)まで相談役。産業公害防止協会会長も務めた[1]

1999年(平成11年)4月1日、死去。83歳没[3]

岳父金光庸夫

栄典

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 熊谷 典文(クマガイ ヨシフミ)とは”. コトバンク. 2019年7月13日閲覧。
  2. ^ 猪熊建夫『高校風土記』 サンデー毎日 2021年2.21号、p.83
  3. ^ a b c d e f g h i j 熊谷典文(くまがい よしふみ)とは”. コトバンク. 2019年7月13日閲覧。
  4. ^ 「秋の叙位叙勲4538人、晴れの受章 隠れた功労者、史上2位の1741人」『読売新聞』1988年11月3日朝刊
先代
山本重信
通商産業事務次官
第11代:1968年 - 1969年
次代
大滋弥嘉久
先代
乾昇
住友金属工業社長
第6代:1978年 - 1986年
次代
新宮康男