穆王 (周)

穆王
西周
第5代王
王朝 西周
在位期間 前976年 - 前922年
都城 鎬京
姓・諱 姫満
生年 不詳
没年 前922年
昭王
后妃 王俎姜
穆王 (周)

穆王(ぼくおう)は、周朝の第5代

昭王の子であり、昭王がへの遠征途上で行方不明になったことより仮に王位に即位、その後に昭王の死が判明したので正式に即位した。

彼は中国全土を巡るのに特別な馬(穆王八駿)を走らせていたと言われる。すなわち、飛ぶように走ることができる「絶地(ぜっち)」、鳥よりも速い「翻羽(ほんう)」、一夜で万里を駆ける「奔霄(ほんしょう)」、太陽の後を追って走ることができる「越影(えつえい)」、光のように明るく輝く「逾輝(ゆき)」、10の影を持つ馬「超光(ちょうこう)」、雲に乗って走れる「騰霧(とうむ)」、翼を持つ「挟翼(きょうよく)」の8頭である。穆王はこの馬を駆って犬戎ら異民族を討った。

また、司寇(司法官の長)である呂侯に命じて『呂刑』と呼ばれる刑法を定めて社会の安定を図ろうとしたが、その3千と言われる罪状の多さに却って諸侯や民衆の反感を買った。

また彼は西の彼方にある、神々が住むとされた崑崙山にも立ち寄り西王母に会い、西王母が後に入朝したと言う。このことは穆天子伝としてまとめられている。神話、伝説の要素を多く含む中国最古の旅行記である。

登場作品

[編集]
テレビドラマ