細川利致

 
細川 利致
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 寛延3年9月22日1750年10月21日
死没 天明元年5月25日1781年6月16日
改名 大三郎(幼名)→利致
墓所 東京都品川区北品川の東海寺妙解院
官位 従五位下、若狭
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治
肥後新田藩
氏族 細川氏
父母 父:細川利寛
母:房姫(清寿院、細川利恭の娘)
兄弟 利業利意利致利庸戸川等之
綾姫(照雲院、久我信通の娘)
養子:利庸
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細川 利致(ほそかわ としゆき)は、肥後新田藩の第5代藩主。

生涯

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寛延3年(1750年)9月22日、第4代藩主・細川利寛の三男として生まれる。長兄の利業が病弱だったため、宝暦13年(1763年)10月に世子となる。明和4年(1767年)、父の死去により跡を継ぎ、明和6年(1769年)12月に従五位下、若狭守に叙任する。幕府の勅使饗応役を務めた。

天明元年(1781年)5月25日に死去した。享年32。跡を弟で養子の利庸が継いだ。

系譜

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父母

正室

養子