芝東照宮
芝東照宮 | |
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拝殿 | |
所在地 | 東京都港区芝公園4-8-10[1] |
位置 | 北緯35度39分18.37秒 東経139度44分54.95秒 / 北緯35.6551028度 東経139.7485972度座標: 北緯35度39分18.37秒 東経139度44分54.95秒 / 北緯35.6551028度 東経139.7485972度 |
主祭神 | 徳川家康[1] |
社格等 | 郷社 |
創建 | 元和3年(1617年) |
例祭 | 4月17日[1] |
芝東照宮(しばとうしょうぐう)は、東京都港区にある東照宮。祭神は徳川家康。神体は徳川家康寿像。旧社格は郷社。日光東照宮、久能山東照宮、上野東照宮と並ぶ四大東照宮の一つ[2]とされる。
概要
[編集]芝公園の一角にあり、元来は増上寺内の社殿であった。徳川家康が慶長6年(1601年)に還暦を迎えた記念に自らの像を刻ませた「寿像」を、自身が駿府城に於いて祭祀していた。元和2年(1616年)家康は死去に際して「寿像」を祭祀する社殿を増上寺に建造するよう遺言した。同年10月に着工し翌元和3年(1617年)2月に竣工した。この社殿は家康の法名「安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」より「安国殿」と呼ばれた。これが芝東照宮の起源である。
その後、3代将軍家光により寛永10年(1633年)に新社殿が造営され、旧社殿は開山堂となった。寛永18年(1641年)には移転改築がなされた。駿府城より移築された惣門、福岡藩主黒田忠之が寄進した鳥居、本殿の周囲に拝殿、唐門、透塀が造営され豪奢な社殿が整った。
明治初期に神仏分離令により、増上寺から切り離されて芝東照宮となった。明治6年(1873年)郷社に列した。本殿は大正4年(1915年)、当時の古社寺保存法に基づき特別保護建造物(現行法の重要文化財に相当)に指定された。しかし、昭和20年(1945年)5月25日の東京大空襲により「寿像」と神木のイチョウを残し、あとは全て焼失した。昭和44年(1969年)現在の社殿が再建された。
文化財等
[編集]- 木造徳川家康坐像(寿像):昭和38年(1964年)東京都指定有形文化財[3]。当神社の神体である。
- 大イチョウ:昭和31年(1956年)東京都指定天然記念物[4]。徳川家光が植樹したと伝えられる神木。昭和5年(1930年)より昭和27年(1952年)までは文部省指定であったが、文化財保護法の改正により指定解除となった。
アクセス
[編集]- 都営地下鉄三田線 芝公園駅下車 A4出口すぐ
- 都営地下鉄三田線 御成門駅下車 A1出口より徒歩2分
- 都営地下鉄浅草線・大江戸線 大門駅下車 A6出口より徒歩5分
- 都営地下鉄大江戸線 赤羽橋駅下車 赤羽橋口より徒歩7分
- JR山手線 浜松町駅下車 徒歩12分
脚注
[編集]- ^ a b c 東京都神社庁.
- ^ 芝東照宮境内にある石碑文に記載。
- ^ 東京都 木造徳川家康坐像.
- ^ 東京都 芝東照宮のイチョウ.
参考文献
[編集]- “東照宮”. 東京都神社庁. 2020年7月18日閲覧。
- “木造徳川家康坐像 附 紙本墨書安国殿御宮御由緒抜書 1冊”. 東京都文化財情報データベース. 東京都. 2020年7月18日閲覧。
- “芝東照宮のイチョウ”. 東京都文化財情報データベース. 東京都. 2020年7月18日閲覧。
外部リンク
[編集]- 芝東照宮ホームページ
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