花原勉
獲得メダル | ||
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花原勉 | ||
日本 | ||
レスリング・グレコローマン | ||
オリンピック | ||
金 | 1964 東京 | 男子52kg級 |
レスリング世界選手権 | ||
銅 | 1967 ブカレスト | 男子57kg級 |
アジア大会 | ||
銀 | 1962 ジャカルタ | 男子52kg級 |
花原 勉(はなはら つとむ、1940年〈昭和15年〉1月3日 - 2024年〈令和6年〉2月5日)は、アマチュアレスリング選手。日本体育大学名誉教授。1964年東京オリンピックレスリンググレコローマンスタイル・フライ級金メダリスト。
略歴
[編集]山口県下関市出身[1]。山口県立豊浦高等学校に在籍中は柔道部で活躍した。
日本体育大学進学後にレスリングに転向し、1960年から1965年まで日本選手権6連覇。東京オリンピックでも、決勝でブルガリアのケレゾフ選手を撃破し金メダルを獲得[2]。日本レスリング陣の士気を上げる価値ある金メダルであった。後年大学界のレスリング王国と呼ばれる日体大の礎を築いた。
2024年2月5日、東京都杉並区の病院で死去[5]。84歳没。闘病していたという[5]。
著書
[編集]- 『金メダルレストラン-勝つための食事学』(1995年/ベースボールマガジン社)
脚注
[編集]- ^ “北京五輪特集<3>花原勉 無敵の投げ、柔道仕込み” (日本語). 中国新聞 (広島: 中国新聞社). (2008年5月22日) 2012年3月24日閲覧。
- ^ “レスリングのオリンピック日本人男子メダリストを紹介、偉大な功績を残した3選手”. 【SPAIA】スパイア (2020年5月4日). 2020年11月14日閲覧。
- ^ 『官報』号外第151号、令和元年11月5日
- ^ “令和元年秋の叙勲 瑞宝中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 18 (2019年11月3日). 2023年2月22日閲覧。 アーカイブ 2023年1月21日 - ウェイバックマシン
- ^ a b “花原勉氏が死去、84歳 64年東京五輪レスリング金メダル、日体大で教授など務め後進を指導”. 日刊スポーツ (2024年2月6日). 2024年2月6日閲覧。