若生英俊
若生 英俊(わこう ひでとし、1950年3月13日 - )は、日本の政治家。元宮城県富谷町長(第4代、2期)[1]。元富谷市議会議員(2期)。
略歴
[編集]宮城県黒川郡富谷町(現・富谷市)出身。宮城県仙台第三高等学校卒業、明治大学法学部法律学科卒業。
卒業後は小中学校教員、会社員を経て行政書士事務所を開業する。
1999年と2003年の富谷町長選挙に立候補するが、いずれも現職で自身の従兄弟に当たる若生照男に敗れた。新聞には「因縁の対決」「骨肉の争い」と書かれた[2]。
2006年12月富谷町長の若生照男が死去。翌年2月の町長選挙に立候補して、若生照男の長男の若生裕俊らを破って初当選。町長を2期務めた。
2012年に元町職員から「パワハラを受けた」として慰謝料の支払いを仙台地裁に提訴された[4]。裁判は「慰謝料の請求を棄却する」として、原告敗訴となった[5]。
2015年2月の町長選挙で若生裕俊に敗れ、落選。同年8月の富谷町議会議員選挙に立候補して当選。翌年富谷町の市制施行により、富谷市議会議員となる。富谷市議を2期務め、2023年に市議を引退した。
2024年(令和6年)11月の秋の叙勲において、旭日双光章を受章した[6][7]。
選挙歴
[編集]- 1999年(平成11年)4月 - 富谷町長選に落選。
- 2003年(平成15年)4月 - 富谷町長選に再び立候補するも落選。
- 2007年(平成19年)2月 - 富谷町長に当選。
- 2011年(平成23年)2月 - 富谷町長に再選。
- 2015年(平成27年)2月 - 町長選に落選[8]。
- 2015年(平成27年) - 富谷町議選に立候補し、当選[9]。
- 2019年(令和3年) - 富谷市議会議員に再選[10]。
親族
[編集]- 若生裕俊(富谷市長、父方の従弟)
脚注
[編集]- ^ 広報とみや
- ^ 『河北新報』1999年4月25日朝刊、15面「宮城・注目の町長選」「いとこ対決は現職若生さん」。
- ^ 『河北新報』2008年1月25日朝刊25面。
- ^ 『河北新報』2012年4月11日朝刊14面、「富谷町長がパワハラ」。
- ^ 『河北新報』2013年10月24日朝刊16面、「町長パワハラ訴訟 富谷町元幹部の賠償請求を棄却」。
- ^ 『官報』号外259号、令和6年11月5日
- ^ 令和6年秋の叙勲 勲章受章者名簿 - 総務省
- ^ 河北新報オンラインニュース
- ^ 河北新報オンラインニュース
- ^ 富谷市議会議員選挙-2019年8月25日投票|候補者一覧|政治山