蔭山氏広
時代 | 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 慶長10年6月24日(1605年8月8日) |
別名 | 新四郎、四郎兵衛、長門守 |
戒名 | 日景 |
墓所 | 伊豆国玉沢妙法華寺 |
官位 | 長門守 |
主君 | 北条氏政→北条氏直 |
氏族 | 蔭山氏 |
父母 | 父:蔭山忠広 |
妻 | 北条氏隆娘(北条氏堯、田中泰行の娘とも) |
子 | 広通、貞広、広則、養女:於万(実父は正木頼忠) |
概要
[編集]永禄9年(1567年)4月12日には新四郎の名前で北条氏政に感状を送られている[2]。
『寛政重修諸家譜』によれば、天正18年(1590年)の小田原城落城の際に伊豆国賀殿に蟄居したという。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 相模三浦一族とその周辺史: その発祥から江戸期まで
- ^ 東大資料編纂所データーベース「日本古文書ユニオンカタログ[1]」