藤田茂吉
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藤田 茂吉(ふじた もきち、嘉永5年6月25日(1852年8月10日) - 明治25年(1892年)8月19日)は、日本の新聞記者、政治家。旧姓は林、号は鶴谷山人・九皐外史・鳴鶴居士・聞天楼主人・翠嵐生。衆議院議員。
経歴
[編集]豊後国海部郡佐伯(現在の大分県佐伯市)の城下町で佐伯藩のお抱え水主の子として生まれた。慶應義塾(現在の慶應義塾大学)出身で福澤諭吉の弟子。郵便報知新聞社に入社し、新聞の主筆となる。立憲改進党に参加。1890年(明治23年)7月、第1回衆議院議員総選挙に東京府第4区から出馬し当選。その後、第2回総選挙でも当選し、衆議院議員を通算二期務めた。
その他、日本橋区会議員、同議長、同衛生会長、東京府会議員、同区部会議長などを歴任。
家族
[編集]著書
[編集]- 藤田茂吉、箕浦勝人『国会論』報知社支店、1879年8月 。 - 福澤諭吉が執筆した原稿を、藤田茂吉と箕浦勝人とが表現を変えて『郵便報知新聞』の社説として発表したもの。
- 藤田茂吉『文明東漸史』報知社、1884年9月 。
- 藤田茂吉『済民偉業録 前編』集成社書店、1887年3月 。
- 藤田茂吉『観風叢話 上篇』金港堂、1890年5月 。
参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。