西尾嘉教
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 天正18年(1590年) |
死没 | 元和9年4月2日(1623年5月1日) |
別名 | 小六(通称)、政照 |
墓所 | 東京都台東区蔵前の竜宝寺 |
官位 | 従五位下、出雲守、豊後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 美濃揖斐藩主 |
父母 | 父:木下吉隆、母:西尾光教の長女 養父:西尾光教 |
兄弟 | 教次、嘉教、氏教 |
妻 | 正室:内藤政長の娘 |
西尾 嘉教(にしお よしのり)は、美濃揖斐藩の第2代(最後)の藩主。
生涯
[編集]木下吉隆の次男といわれる。慶長13年(1608年)、外祖父西尾光教の養子となっていた兄教次が早世したため、光教の養嗣子となる。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では光教と共に出陣している。元和元年(1615年)、光教の死去により揖斐2万5000石の遺領を継ぐが、元和9年(1623年)4月2日に34歳で死去した。嗣子が無かったため、西尾家は改易された。なお、弟氏教の子孫は4500石の旗本として存続している。