赤道ギニアの音楽
赤道ギニアの文化は、他の多くのアフリカ諸国のそれよりも記録されており、商業録音は不足している。これはこの国のサイズの小ささと人口が約670,000人しかいないことに部分的に基づいている。赤道ギニアはカメルーンとガボンの間の一片リオ・ムニ、カメルーン付近の島ビオコ島、本土から遥かに離れた大西洋上のアンノボン島と、三つの旧スペイン植民地から成る。
赤道ギニアの国歌はアタナシオ・ンドンゴ・ミヨネによって書かれ、国家がスペインから独立した1968年に採用された[2]。
民俗音楽
[編集]最大の民族はファン人であるが、多数のブビ人と少数のビシオ人、ブイエバ人、ンドウェ人、コンベ人、そしてアンノボン島民が存在する。ファン人はツィターとハープをクロスしたムベト(mvet)で知られる。ムベトは15のコードにまで及んでいる。この楽器の準球状の部分は竹から作られ、弦は繊維によって結び付けられている。ムベトによる音楽はベボム・ムベト社会に手ほどきを受けた記譜法によってのみ書かれる。音楽は典型的なリフレイン形式を伴ったコールアンドレスポンスと太鼓の交流による。エイ・モアン・ンドングやオバマは民族様式を一般化させようとしている。
バレーレーときわどいイバンガは赤道ギニアの舞踊の中で特筆されるべき二つであり、これらの多くはサンサ、シロフォン、太鼓、ツィター、バウ・ハープなどの楽器から成る3人か4人の楽団を伴う[1]。
もう一つのポピュラーな楽器は獣皮で覆われた木の箱、タム=タムである。この中央では、竹のキーが音楽のスケールを完全にするためにインストールされている。第二の様式のタム=タムは音楽キーのレベルが二つ違い、一般的に、木製楽器は動物の画像と幾何学的な絵で装飾される。太鼓は獣皮で覆われ、動物の絵が描かれる[2]。
ポピュラー音楽
[編集]赤道ギニアから出てくるポピュラー音楽は少ない。汎アフリカ的な様式であるスークースとマコッサなどがポピュラーであり、レゲエ、ロックンロールも同様である。スペインのモデルに基づいたアコースティックギターバンドは国で最も良く知られたポピュラーな伝統であり、特にデスマリ・イ・ス・グルポ・ダンボ・デ・ラ・コスタは国民的スターである。
赤道ギニアの他のミュージシャンには、マラボ・ストリト・バンド、ルナ・ロカ、チキティン、ダンボ・デ・ラ・コスタ、ンガル・マドゥンガ、リリー・アフロ、そしてスペインを拠点にしたスペール・モモ、イハス・デル・ソル、バロン・ヤ・ブク=ルなどが挙げられる。
脚註
[編集]外部リンク
[編集]- Guinea Ecuatorial[3]
- [4]
- Dominguez, Manuel. "Malabo Blues". 2000. In Broughton, Simon and Ellingham, Mark with McConnachie, James and Duane, Orla (Ed.), World Music, Vol. 1: Africa, Europe and the Middle East, pp 477–479. Rough Guides Ltd, Penguin Books. ISBN 1-85828-636-0