鄭烘原
鄭烘原 정홍원 Chung Hong Won | |
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(2014年) | |
生年月日 | 1944年10月9日(80歳) |
出生地 | 日本統治下朝鮮 慶尚南道河東郡 |
出身校 | 成均館大学校卒業 |
前職 | 大韓民国法務研修院長 |
所属政党 | セヌリ党 |
第42代 大韓民国国務総理 | |
在任期間 | 2013年2月26日 - 2015年2月16日 |
大統領 | 朴槿恵 |
鄭烘原(チョン・ホンウォン) | |
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各種表記 | |
ハングル: | 정홍원 |
漢字: | 鄭烘原 |
発音: | チョンホンウォン |
日本語読み: | てい こうげん |
ローマ字: | Chung Hong Won |
鄭 烘原(チョン・ホンウォン、정홍원、1944年10月9日 - )は、韓国の弁護士、検事。釜山地検検事長、法務研修院長などを歴任した後、2013年2月から2015年2月まで国務総理(首相に相当)を務めた[1]。
来歴
[編集]1944年10月9日、大日本帝国統治下にあった慶尚南道出身[2][3][4]。晋州師範学校、成均館大学校を卒業後、1972年に第14回司法試験に合格し、1974年にソウル地検永登浦支庁の検事となる[3]。以来、最高検察庁では中央捜査部課長、ソウル中央では地検特殊部長を務め[5]、また釜山地方検察庁と光州地方検察庁では検事長を務めるなど、検事として30年間活動した[3][6]。2003年には法務研修院長、2008年には大韓法律救助公団理事長となる[7][3][5]。その後は弁護士として活動した[6]。法曹界以外では、中央選挙管理委員会の常任委員として活動。韓国においてマニフェスト運動を初めて提唱し、また電子投票制度の導入にも関わるなど、選挙制度改革に尽力した[6]。
2012年4月の第19代総選挙では与党セヌリ党の公認候補を審査する公職者候補推薦委員会の委員長を務め、ここで党非常対策委員長であった朴槿恵との縁ができることになる[7][3][5]。同年12月の大統領選挙ではセヌリ党候補の朴が当選し、当初は首相候補として金容俊元憲法裁判所長を指名したが、その後、国会人事聴聞会が行われる前に不当な不動産投機や2人の息子の兵役免除疑惑が報じられたため、金は首相候補を辞退[7]。2月8日、鄭が首相候補に改めて指名された[7]。ただ、鄭も息子が椎間板ヘルニアで徴兵免除されており、これが高級公職者として相応しい経歴なのかを指摘する声もあった[8]。朴が大統領に就任した翌日の2月26日に国会で任命同意案が承認され、国務総理に就任した[9]。首相となってからは、朴槿恵大統領の書いたものをそのまま読む「代読首相」などと批判されていた[10]。
2014年4月16日に観梅島沖海上で発生したセウォル号沈没事故では韓国政府の対応の不手際が指摘され、4月27日、国務総理を辞職することを表明した[11]。しかし後任に指名された安大熙は弁護士時代に不透明な高額報酬を得ていた疑惑が浮上し指名を辞退、続いて指名された文昌克は過去の親日的とされる発言が問題視されやはり辞退に追い込まれ、結局6月26日になって鄭の国務総理続投が発表された[12]。いったん辞任を表明し、大統領もそれを了承した後に留任となった国務総理は鄭が韓国憲政史上初である[13]。2015年1月23日、セヌリ党の李完九院内代表の次期国務総理候補者が青瓦台より発表された[14]。2月16日、李の任命同意案が国会で可決され、鄭は国務総理を退任した[15]。
2020年7月27日には『大韓民国国民の皆様に訴えます』というタイトルの24分間の動画を公開し、その中で文在寅大統領に対する批判を展開、また野党・未来統合党に対する注文をつけた[16]。
対日政策
[編集]- 2013年11月17日、ソウル・白凡金九記念館で開かれた「第75回殉国先烈の日記念式」に参加し、「日本はまだ歴史について真の謝罪と反省を見せていない」などと演説した[17]。
- 2015年1月10日、世宗市での記者会見で日本の嫌韓について「日本は『韓国は兄の国』と呼ぶほど、さまざまな方面で私たちが日本を上回っている」と主張し、「このような点に対する日本の心理的な問題もあるようだ」などと解説した[18]。
出典
[編集]- ^ “韓国首相に元検事の鄭氏…閣僚任命は足踏み”. 読売新聞社. (2013年2月26日) 2013年2月26日閲覧。
- ^ “정홍원”. NAVER人物検索. 2013年2月9日閲覧。
- ^ a b c d e “첫 총리에 정홍원 전 새누리당 공천위원장 지명(종합)” (朝鮮語). 中央日報. (2013年2月8日) 2013年2月9日閲覧。
- ^ “韓国新政権、首相に元検事を指名”. 読売新聞. (2013年2月9日) 2013年2月9日閲覧。
- ^ a b c “[社説]法曹人党の色を消せずにいるハンナラ党”. 東亜日報. (2012年2月1日) 2013年2月9日閲覧。
- ^ a b c “韓国次期政権 首相や国家安保室長らを指名”. 聯合ニュース. (2013年2月8日) 2013年2月9日閲覧。
- ^ a b c d “韓国首相候補に鄭ホン原氏 国家安保室長は強硬派”. 共同通信社. (2013年2月8日) 2013年2月8日閲覧。
- ^ “[社説]2人目の首相候補の鄭烘原氏、今度は大丈夫か”. 東亜日報. (2013年2月9日) 2013年2月9日閲覧。
- ^ “韓国首相に元検事の鄭氏…閣僚任命は足踏み”. 読売新聞社. (2013年2月26日) 2013年2月26日閲覧。
- ^ 加藤達也 (2014年6月26日). “「首相も選べない無能な政権」批判も…朴氏、辞意の首相留任決定 候補辞退相次ぎ”. 産経新聞 2014年6月27日閲覧。
- ^ “韓国首相が辞意表明 政府対応批判され引責”. 産経新聞. (2014年4月27日) 2014年4月27日閲覧。
- ^ “韓国政府、現首相を留任へ 旅客船沈没で辞任表明”. 日本経済新聞. (2014年6月26日) 2014年6月26日閲覧。
- ^ “韓国、憲政史上初の“首相留任“…野党「意地の人事の極致」”. 中央日報. (2014年6月27日) 2014年6月27日閲覧。
- ^ “新韓国首相に李完九セヌリ党院内代表が内定…「国政の正常運営に寄与」” (日本語). 中央日報. (2015年1月23日) 2015年1月27日閲覧。
- ^ “朴政権初代首相の鄭氏が退任”. 聯合ニュース. (2015年2月16日) 2015年2月16日閲覧。
- ^ “韓国元首相「国の全分野で崩れて壊れる音がする」”. 中央日報. (2020年7月28日) 2020年8月5日閲覧。
- ^ “韓国首相「日本は歴史の前に謙虚な姿勢で戻るべき」”. 聯合ニュース. (2013年11月17日) 2015年2月22日閲覧。
- ^ “정 총리 “일본이 우리를 ‘형님 나라’라고 부른다” 왜?(鄭総理“日本が我々を‘兄上の国’だと呼ぶ”何故?)”. 国民日報. (2015年1月10日) 2015年2月22日閲覧。
公職 | ||
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先代 金滉植 | 大韓民国国務総理 第42代:2013年2月26日-2015年2月16日 | 次代 李完九 |