鳳至郡
鳳至郡(ふげしぐん)は、石川県(能登国)にあった郡。2005年(平成17年)3月1日に珠洲郡と統合して鳳珠郡となった。
郡域
[編集]1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
歴史
[編集]元は越前国の一郡であったが、養老2年5月2日(718年6月4日)に羽咋郡・能登郡(現・鹿島郡)・珠洲郡とともに分立して能登国となった。天平13年12月10日(742年1月20日)から天平宝字元年(757年)までは越中国に属した。当初の鳳至郡が現在の輪島市全域を含んでいた一方で、現在の穴水町の大半は能登郡であった。能登郡との郡界が移動したのは、能登国分国の頃と考えられる。郡衙は輪島市内の釜屋谷B遺跡と推定されている。
近世以降の沿革
[編集]知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 幕府領 | 21村 | 鹿島村、鵜島村、大町村(現・鳳珠郡穴水町大町)、川島村、天神谷村、上唐川村、下唐川村、黒島村、七海村(現・鳳珠郡穴水町七海)、梶村、藤巻村、岩車村、鹿浪村、曽良村、中谷村(現・鳳珠郡穴水町東中谷)、院内村、黒川村、河内村(現・鳳珠郡能登町北河内)、伏戸村、大野村(現・輪島市町野町東大野)、井面村 |
藩領 | 加賀藩 | 3町 296村 | 上代村、《黒岩村》、入山村、剱地村、腰細村、大泊村、赤神村、馬場村、《館分村》、久川村、《中谷村(現・鳳珠郡穴水町)》、神明原村、《窕村》、清沢村、《切挟村》、大釜村、《木原月村》、馬渡村、《渡瀬村》、飯川谷村、《滝町村》、小山村、《二又村》、江崎村、《白禿村》、大切村、《椎木村》、千代村、藤浜村、池田村、《北川村》、南村、《鍛冶屋村》、是清村、《中田村》、道下村、勝田村、和田村、高根尾村、田村、浅生田村、安代原村、中野屋村、山辺村、宮古場村、俊兼村、《嶺村》、浦上村、《八幡村、円山村(現・輪島市門前町西円山)》、荒屋村、《原村》、大町村(現・輪島市)、貝吹村、平村、《別所村》、二又川村、谷口村、《能納屋村》、四位村、滝上村、本内村、越渡村、上中村[3]、《大角間村》、地原村、百成村、《堀越村》、鑓川村、桂谷村、定広村、《長井坂村》、館村、広岡村、《中尾村(現・輪島市門前町西中尾)》、本市村、深田村、小石村、《小滝村》、内保村、栃木村、清水村、皆月村、暮坂村、薄野村、井守上坂村、百成大角間村、餅田村、鵜山村、大滝畠中村、五十洲村、吉浦村、矢徳荻平村、《小杉村》、六郎木村、深見村、鹿磯村、下山村、赤崎村、上大沢村、樽見村、二俣村、雑座村、池田村、新保村(現・輪島市上山町)、《上村》、黒杉村、小町村、大沢村[4]、鳳至町、輪島崎村、光浦村、鵜入村、《小池村》、蕨野村、堀村、釜屋谷村、水守村、《中段村》、山本村、縄又村、小伊勢村、稲屋村、長井村、房田村、下黒川村、《上黒川村》、円山村(現・輪島市町野町北円山)、《舞谷村》、別所谷村、滝又村、空熊村、河井町、宅田村、《二ツ屋村》、塚田村、久手川村、稲舟村、大野村(現・輪島市大野町)、惣領村[5]、谷内村、山岸村、杉平村、横地村、石休場村、山ノ上村、中尾村(現・輪島市東中尾町)、北谷村、西脇村、市瀬村、熊野村、本江村(現・鳳珠郡能登町本木)、仁行村、与呂見村、中村、打越村、興徳寺村、渡合村、長沢村、漆原村、小泉村、新保村(現・輪島市三井町新保)、市ノ坂村、細屋村、内屋村、洲衛村、渋田村、里村、西院内村、《東印内村》、東山村、《忍村》、小田屋村、《尊利地村》、名舟村、白米村、《野田村》、金蔵村、西山村、五十里村、大箱村、宇留地村、平野村、上野村、地蔵坊村、乙ヶ崎村、内浦村、小又村、河内村(現・鳳珠郡穴水町)、汁谷村、挾石村、此木村、曽福村、根木村、新崎村、志ヶ浦村、中居村[6]、中居南村[6]、麦ヶ浦村、波志借村、比良村、《川尻村》、伊久留村、樟谷村、木原村、柏木村、太田原村、木戸村、曽山村、菅谷村、甲村、沖波村、前波村、山中村、明千寺村、宇加川村、古君村、太田川村、竹原村、鵜川村、小垣村、《谷屋村》、七海村(現・鳳珠郡能登町)、神道村、八之田村、《木住村》、西安寺村、《山口村》、三田村、《俎倉村》、魚地村、《番頭谷村》、竜村、《坂尻村》、下代村、《宮谷村》、本江村(現・輪島市)、武連村、吉谷村、当目村、中斎村、十郎原村、神和住村、曽又村、鶴町村、宇加塚村、藤浪村、波並村、矢波村、久田村、合鹿村、久亀屋村、本江村(現・鳳珠郡能登町上町)、天坂村、寺分村、五郎左衛門分村、藤之瀬村、宇出津村、《宇出津新村》、宇出津山分村、柳田村、《笹川村》、石井村、《国光村》、長尾村、広江村、《牛尾村》、寺地村、《敷戸村》、川西村、粟蔵村、《桶戸村》、鈴屋村、寺山村、大川村、麦生野村、《徳成谷内村》、徳成村、《東村》、佐野村、《真久村》、小間生村、《桐畑村》、鈴ヶ嶺村、鴨川村、広瀬村、鬼屋村、走出村、《日野尾村》、七海村(現・鳳珠郡穴水町北七海)、海士町[7]、鹿路村[8]、山是清村[8]、新町分村[8]、門前村[7]、上河内村[8]、猿橋村[8]、中谷内村[8]、西二又村[8] |
幕府領・藩領 | 幕府領・加賀藩 | 1村 | 時国村 |
- 明治2年6月17日(1869年7月25日) - 版籍奉還により加賀藩(通称)の正式名称が金沢藩となる。
- 明治3年5月22日(1870年6月20日) - 幕府領が高山県の管轄となる[9]。
- 明治4年
- 明治初年
- 時国村が分割され、幕府領が南時国村、加賀藩領が西時国村となる。(3町319村)
- 大滝畠中村が改称して大滝村となる。
- 明治4年 - 鳳至町・輪島崎村・河井町・海士町が合併して輪島町となる。(1町318村)
- 明治5年9月27日(1872年10月29日) - 石川県の管轄となる。
- 明治7年(1874年) - 太田川村・竹原村が合併して竹太村となる。(1町317村)
- 明治8年(1875年)(1町305村)
- 本江村(現・鳳珠郡能登町本木)・木戸村が合併して本木村となる。
- 谷屋村・神道村・吉谷村が合併して柿生村となる。
- 八之田村・西安寺村・院内村が合併して瑞穂村となる。
- 木住村・山口村・三田村・番頭谷村が合併して山田村となる。
- 魚地村・宮谷村が合併して宮地村となる。
- 竜村・坂尻村・下代村が合併して鮭屋村となる。
- 久亀屋村・本江村(現・鳳珠郡能登町上町)が合併して上町村となる。
- 明治11年(1878年)(1町300村)
- 12月17日 - 郡区町村編制法の石川県での施行により、行政区画としての鳳至郡が発足。郡役所を輪島町に設置。
- 雑座村・池田村・新保村(現・輪島市上山町)・上村・黒杉村・小町村が合併して上山村となる。
- 大町村(現・輪島市)が改称して東大町村となる。
- 河内村(現・鳳珠郡能登町)が改称して北河内村となる。
- 七海村(現・鳳珠郡能登町)が七見村に、七海村(現・鳳珠郡穴水町北七海)が北七海村にそれぞれ改称。
- 2ヶ所ずつ存在した円山村、大野村、中尾村、中谷村がそれぞれ東中谷村(現・鳳珠郡穴水町東中谷)、西中谷村(現・輪島市門前町西中谷)、東大野村(現・輪島市町野町東大野.)、西大野村(現・輪島市大野町)、西円山村(現・輪島市門前町西円山)、北円山村(現・輪島市町野町北円山)、東中尾村(現・輪島市東中尾町)、西中尾村(現・輪島市門前町西中尾)に改称。
- 矢徳荻平村が改称して矢徳村となる。
町村制以降の沿革
[編集]- 輪島町(輪島町が単独町制)
- 宇出津町 ← 宇出津村、宇出津新町、宇出津山分村(現・鳳珠郡能登町)
- 穴水村 ← 川島村、大町村、七海村、北七海村、内浦村、平野村、此木村、天神谷村、麦ヶ浦村(現・鳳珠郡穴水町)
- 東保村 ← 汁谷村、上唐川村、下唐川村、挾石村、小又村、地蔵坊村、上野村、河内村、越渡村、大角間村、上中村、桂谷村、宇留地村、鹿路村(現・鳳珠郡穴水町)
- 島崎村 ← 鵜島村、乙ヶ崎村、新崎村、志ヶ浦村、根木村、鹿島村、曽福村(現・鳳珠郡穴水町)
- 剱地村 ← 剱地村、大泊村、赤神村、腰細村、馬場村[一部]
- 仁岸村 ← 館分村、馬場村[大部分]、滝町村、西中谷村、馬渡村、清沢村、切挟村、神明原村、久川村、窕村、木原月村、飯川谷村、大釜村、上代村、黒岩村、入山村、渡瀬村
- 阿岸村 ← 池田村、藤浜村、白禿村、大切村、二又村、小山村、椎木村、中田村、江崎村、南村、千代村、是清村、山是清村、北川村、新町分村、鍛冶屋村
- 諸岡村 ← 道下村、鹿磯村、深見村、勝田村、六郎木村
- 櫛比村 ← 門前村、清水村、走出村、日野尾村、和田村、深田村、鬼屋村、高根尾村、広瀬村、本市村、小石村、西中尾村、広岡村、栃木村、館村、上河内村、小滝村、猿橋村
- 浦上村 ← 浅生田村、中野屋村、浦上村、八幡村、宮古場村、西円山村、田村、山辺村、安代原村
- 七浦村 ← 皆月村、餅田村、鵜山村、中谷内村、大滝村、五十洲村、吉浦村、矢徳村、小杉村、百成大角間村、井守上坂村、薄野村、暮坂村、樽見村
- 西保村 ← 上山村、西二又村、上大沢村、大沢村、赤崎村、小池村、下山村
- 大屋村 ← 鵜入村、光浦村、蕨野村、堀村、釜屋谷村、水守村、中段村、小伊勢村、稲屋村、山本村、長井村、房田村、二ツ屋村、宅田村
- 鳳至谷村 ← 下黒川村、二俣村、別所谷村、縄又村、上黒川村、滝又村、空熊村
- 河原田村 ← 山岸村、横地村、石休場村、西脇村、北谷村、市瀬村、東中尾村、熊野村、杉平村、打越村、山ノ上村
- 鵠巣村 ← 久手川村、塚田村、稲舟村、西大野村、惣領村、谷内村
- 南志見村 ← 里村、小田屋村、白米村、野田村、名舟村、尊利地村、忍村、西山村、西院内村、東印内村、東山村、渋田村
- 町野村 ← 鈴屋村、粟蔵村、牛尾村、寺山村、佐野村、真久村、舞谷村、北円山村、徳成村、徳成谷内村、東村、麦生野村
- 西町村 ← 大川村、伏戸村、川西村、東大野村、桶戸村、井面村、金蔵村
- 岩倉村 ← 西時国村、南時国村、敷戸村、寺地村、広江村
- 柳田村 ← 鴨川村、国光村、石井村、柳田村、桐畑村、笹川村、長尾村、鈴ヶ嶺村、小間生村(現・鳳珠郡能登町)
- 上町村 ← 久田村、合鹿村、上町村、天坂村、寺分村、五郎左衛門分村(現・鳳珠郡能登町)
- 岩井戸村 ← 当目村、大箱村、黒川村、五十里村、十郎原村、北河内村(現・鳳珠郡能登町)
- 神野村 ← 藤之瀬村、宇加塚村、曽又村、鶴町村、神和住村、中斎村(現・鳳珠郡能登町)
- 諸橋村 ← 竹太村、古君村、明千寺村、宇加川村、前波村、沖波村(現・鳳珠郡穴水町)
- 三波村 ← 藤波村、波並村、矢波村(現・鳳珠郡能登町)
- 鵜川村 ← 鵜川村、七見村、小垣村(現・鳳珠郡能登町)
- 山田村 ← 瑞穂村、柿生村、山田村、宮地村、鮭尾村、柏木村、本木村、武連村、太田原村、俎倉村(現・鳳珠郡能登町)
- 兜村 ← 甲村、曽良村、鹿波村、山中村(現・鳳珠郡穴水町)
- 中居村 ← 中居村、中居南村(現・鳳珠郡穴水町)
- 南北村 ← 波志借村、梶村、比良村、川尻村、岩車村、伊久留村、菅谷村、樟谷村、木原村、藤巻村、曽山村、東中谷村(現・鳳珠郡穴水町)
- 本郷村 ← 鑓川村、堀越村、東大町村、別所村、貝吹村、荒屋村、長井坂村、定広村、地原村、百成村、二又川村、谷口村、嶺村、俊兼村、能納屋村、四位村、原村、滝上村、内保村、本内村、平村
- 三井村 ← 小泉村、漆原村、長沢村、仁行村、中村、新保村、渡合村、本江村、内屋村、細屋村、市ノ坂村、洲衛村、与呂見村、興徳寺村
- 黒島村(単独村制)
- 明治24年(1891年)7月1日 - 郡制を施行。
- 明治36年(1903年)8月22日 - 穴水村が町制施行して穴水町となる。(3町32村)
- 明治41年(1908年)4月1日 - 下記の町村の統合が行われる。いずれも新設合併。(3町22村)
- 穴水町 ← 穴水町、島崎村、東保村
- 剱地村 ← 剱地村、仁岸村、阿岸村
- 大屋村 ← 大屋村、鳳至谷村
- 町野村 ← 西町村、岩倉村、町野村
- 柳田村 ← 柳田村、上町村、岩井戸村
- 鵜川村 ← 山田村、鵜川村
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和5年(1930年)1月1日 - 櫛比村が改称・町制施行して門前町となる。(4町21村)
- 昭和8年(1933年)7月1日 - 中居村・南北村が合併して住吉村が発足。(4町20村)
- 昭和10年(1935年)時点での当郡の面積は825.10平方km、人口は88,586人(男43,412人・女45,174人)[10]。
- 昭和14年(1939年)11月3日 - 鵜川村が町制施行して鵜川町となる。(5町19村)
- 昭和15年(1940年)12月20日 - 町野村が町制施行して町野町となる。(6町18村)
- 昭和29年(1954年)3月31日(5町5村)
- 門前町・黒島村・諸岡村・七浦村・浦上村・本郷村が合併し、改めて門前町が発足。
- 輪島町・西保村・大屋村・河原田村・鵠巣村・南志見村・三井村が合併して輪島市が発足し、郡より離脱。
- 穴水町・住吉村・兜村が合併し、改めて穴水町が発足。
- 昭和30年(1955年)
- 昭和31年(1956年)9月30日(3町1村)
- 剱地村が門前町に編入。
- 鵜川町が能都町に編入。
- 町野町が輪島市に編入。
- 平成17年(2005年)3月1日 - 以下の変更により鳳至郡消滅。石川県内では珠洲郡と共に初の郡消滅となった。
変遷表
[編集]明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 明治45年 | 大正1年 - 昭和25年 | 昭和25年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
輪島町 | 輪島町 | 輪島町 | 昭和29年3月31日 輪島市 | 輪島市 | 平成18年2月1日 輪島市 | 輪島市 | ||
西保村 | 西保村 | 西保村 | ||||||
河原田村 | 河原田村 | 河原田村 | ||||||
鵠巣村 | 鵠巣村 | 鵠巣村 | ||||||
南志見村 | 南志見村 | 南志見村 | ||||||
三井村 | 三井村 | 三井村 | ||||||
大屋村 | 明治41年4月1日 大屋村 | 大屋村 | ||||||
鳳至谷村 | ||||||||
町野村 | 明治41年4月1日 町野村 | 昭和15年12月20日 町制町野町 | 昭和31年9月30日 輪島市に編入 | |||||
西町村 | ||||||||
岩倉村 | ||||||||
櫛比村 | 櫛比村 | 昭和5年1月1日 町制改称 門前町 | 昭和29年3月31日 門前町 | 平成17年3月1日 鳳珠郡 門前町 | ||||
諸岡村 | 諸岡村 | 諸岡村 | ||||||
浦上村 | 浦上村 | 浦上村 | ||||||
七浦村 | 七浦村 | 七浦村 | ||||||
本郷村 | 本郷村 | 本郷村 | ||||||
黒島村 | 黒島村 | 黒島村 | ||||||
剱地村 | 明治41年4月1日 剱地村 | 剱地村 | 昭和31年9月30日 門前町に編入 | |||||
仁岸村 | ||||||||
阿岸村 | ||||||||
穴水村 | 明治36年8月10日 町制 | 明治41年4月1日 穴水町 | 穴水町 | 昭和29年3月31日 穴水町 | 平成17年3月1日 鳳珠郡 (穴水町) | 鳳珠郡 穴水町 | ||
東保村 | 東保村 | |||||||
島崎村 | 島崎村 | |||||||
兜村 | 兜村 | 兜村 | ||||||
南北村 | 南北村 | 昭和8年7月1日 住吉村 | ||||||
中居村 | 中居村 | |||||||
諸橋村 | 諸橋村 | 諸橋村 | 昭和30年3月10日 穴水町に編入 | |||||
鵜川村 | 明治41年4月1日 鵜川村 | 昭和14年11月3日 町制鵜川町 | 昭和31年9月30日 能都町に編入 | 平成17年3月1日 鳳珠郡 (能登町の一部) | 鳳珠郡 能登町 | |||
山田村 | ||||||||
宇出津町 | 宇出津町 | 宇出津町 | 昭和30年3月25日 能都町 | |||||
三波村 | 三波村 | 三波村 | ||||||
珠洲郡 高倉村 | 珠洲郡 高倉村 | 大正10年1月1日 町制小木町の一部 | ||||||
神野村 | 神野村 | 神野村 | ||||||
昭和30年3月25日 柳田村に編入 | ||||||||
柳田村 | 明治41年4月1日 柳田村 | 柳田村 | 柳田村 | |||||
上町村 | ||||||||
岩井戸村 |
行政
[編集]代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 前職 | 後職 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 崎田政達 | 不詳[11] | 不詳[11] | 石川県第六大区長 | 不詳 | 兼珠洲郡長 |
2 | 加藤鏆二 | 1879年(明治12年)11月27日[11] | 1881年(明治14年)5月30日[11] | 石川県六等属 | 鹿島郡長 | 兼珠洲郡長 |
国枝逸蠖 | 1881年(明治14年)6月3日[11] | 1881年(明治14年)10月8日[11] | 鳳至郡書記 | 解職 | 郡長心得 | |
3 | 勝木菊正 | 1881年(明治14年)10月8日[11] | 1883年(明治16年)9月22日[11] | 石川県六等属 | 依願免本官 | 兼珠洲郡長 |
4 | 国枝逸蠖 | 1883年(明治16年)9月22日[11] | 1884年(明治17年)1月17日[11] | 石川県七等属 | 珠洲郡長 | 兼珠洲郡長 |
5 | 岡田雄巣 | 1884年(明治17年)1月17日[11] | 1886年(明治19年)4月28日[11] | 非職 | ||
6 | 中村邦彦 | 1886年(明治19年)4月28日[11] | 1890年(明治23年)2月28日[11] | 石川県警部兼石川県五等属 | 福島県南会津郡長 | |
7 | 内田衡 | 1890年(明治23年)2月28日[11] | 1892年(明治25年)3月7日[11] | 福井県丹生郡長 | 非職 | |
8 | 隅元禎三 | 1892年(明治25年)3月7日[11] | 1892年(明治25年)11月1日[11] | 石川郡長 | 非職 | |
9 | 新井庸虎 | 1892年(明治25年)11月1日[11] | 1894年(明治27年)10月17日[11] | 予備役陸軍砲兵大尉 | 山梨県警部長 | |
10 | 相馬朔郎 | 1894年(明治27年)10月17日[11] | 1896年(明治29年)10月2日[11] | 富山県射水郡長 | 非職 | |
11 | 稲垣義方 | 1896年(明治29年)10月2日[11] | 1898年(明治31年)1月19日[11] | 能美郡長 | 非職 | |
12 | 山根松太 | 1898年(明治31年)1月21日[11] | 1903年(明治36年)3月31日[11] | 石川県警部 | 河北郡長 | |
13 | 丹羽幹 | 1903年(明治36年)3月31日[11] | 1904年(明治37年)7月26日[11] | 江沼郡長 | 鹿島郡長 | |
14 | 栗山富栄 | 1904年(明治37年)7月26日[11] | 1907年(明治40年)4月6日[11] | 羽咋郡長 | 依願免本官 | |
15 | 植田信忠 | 1907年(明治40年)4月12日[11] | 1908年(明治41年)6月10日[11] | 珠洲郡長 | 香川県香川郡長 | |
16 | 岩本智雄 | 1908年(明治41年)6月10日[11] | 1909年(明治42年)8月16日[11] | 香川県香川郡長 | 死去 | |
17 | 吉田直矩 | 1909年(明治42年)8月16日[11] | 1911年(明治44年)5月19日[11] | 珠洲郡長 | 江沼郡長 | |
18 | 尾上賢次郎 | 1911年(明治44年)5月19日[11] | 1914年(大正3年)8月21日[11] | 石川県警視 | 江沼郡長 | |
19 | 須佐広主 | 1914年(大正3年)8月21日[12] | 1917年(大正6年)6月26日[13] | 内務属 | 依願免本官 | |
20 | 高橋秀 | 1917年(大正6年)6月26日[13] | 1919年(大正8年)3月31日[14] | 珠洲郡長 | 鹿島郡長 | |
21 | 松本源祐 | 1919年(大正8年)3月31日[14] | 1920年(大正9年)3月25日[15] | 羽咋郡長 | 能美郡長 | |
22 | 秋山和吉 | 1920年(大正9年)3月25日[15] | 1922年(大正11年)5月9日[16] | 石川県属 | 依願免本官 | |
23 | 毎田周治郎 | 1922年(大正11年)5月9日[16] | 1923年(大正12年)8月23日[17] | 珠洲郡長 | 休職 | |
24 | 北橋市五郎 | 1923年(大正12年)8月23日[18] | 1924年(大正13年)9月2日[19] | 石川県警視 | 鹿島郡長 | |
25 | 小石喜代造 | 1924年(大正13年)9月2日[19] | 1926年(大正15年)7月1日[20] | 茨城県行方郡長 | 地方事務官珠洲支庁長 |
脚注
[編集]- ^ 「旧高旧領取調帳」は能登国分が欠けているため、木村礎の手により「天保郷帳」をもとに作成され、「日本史料選書13 旧高旧領取調帳 中部編」(近藤出版社、1977年)に掲載されたデータが国立歴史民俗博物館によりデータベース化されている。
- ^ 下記のほか、加賀藩領として《鵜川村/小垣村/竹原村/太田川村》請新田、《大切村/清沢村/江崎村/大釜村/是清村/神明原村/小山村/馬渡村/南村/久川村/小石村/飯川谷村/千代村》請新田が記載されている。
- ^ 記載は中村。
- ^ 記載は下大沢村。
- ^ 記載は深見惣領村。
- ^ a b 記載は中井両町。
- ^ a b 無高のため「旧高旧領取調帳データベース」には記載なし。
- ^ a b c d e f g 「旧高旧領取調帳データベース」に記載なし。石高がどの村に合算されているかは不明。
- ^ 石川県史 第四編,p.3. 近代デジタルライブラリー
- ^ 昭和10年国勢調査による。国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで閲覧可能。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al 石川県史 第四編 175-177頁
- ^ 『官報』第619号「叙任及辞令」1914年8月22日。
- ^ a b 『官報』第1471号「叙任及辞令」1917年6月27日。
- ^ a b 『官報』第1996号「叙任及辞令」1919年4月1日。
- ^ a b 『官報』第2292号「叙任及辞令」1920年3月26日。
- ^ a b 『官報』第2929号「叙任及辞令」1922年5月10日。
- ^ 『官報』第3322号「叙任及辞令」1923年8月25日。
- ^ 『官報』第3321号「叙任及辞令」1923年8月24日。
- ^ a b 『官報』第3610号「叙任及辞令」1924年9月3日。
- ^ 『官報』第4162号「叙任及辞令」1926年7月8日。
参考文献
[編集]- 「石川県鳳至郡誌」 鳳至郡役所編 大正12年
- 石川県『石川県史 第四編』石川県、1931年。
- 『角川日本地名大辞典 17 石川県』(角川書店、1981年。ISBN 4040011708)
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
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