1944年の政治
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1944年の政治(1944ねんのせいじ)では、1944年(昭和19年)の政治分野に関する出来事について記述する。
できごと
[編集]- 2月1日 - 米軍、マーシャル群島に上陸。
- 2月2日 - ルオット島の日本軍守備隊全滅。
- 2月6日 - クェゼリン環礁の日本軍守備隊全滅(クェゼリンの戦い)。
- 2月19日 - 東條英機首相、人心一新を目的に内閣改造。蔵相に石渡荘太郎、農商相に内田信也、運輸通信相に五島慶太を任命。
- 2月21日 - 東條首相が参謀総長を、嶋田繁太郎海相が軍令部総長をそれぞれ兼任。
- 6月4日 - 連合国軍、ローマを占領。
- 6月6日 - 連合国軍、ノルマンディー上陸作戦開始。
- 6月15日 - 米軍、サイパン島に上陸、サイパンの戦い開始。
- 6月17日 - アイスランドがデンマークから独立し、アイスランド共和国が成立。
- 6月19日から6月20日 - マリアナ沖海戦。日本海軍、空母機動戦力を喪失。
- 6月30日 - 閣議、学童疎開を決定。
- 7月7日 - サイパン島の日本軍守備隊玉砕。
- サイパン失陥を受けて岸信介国務相兼軍需次官、東條首相に講和・終戦を迫り対立。
- 7月13日 - 木戸幸一内大臣、東條首相に陸海軍大臣と参謀総長・軍令部総長の分離、嶋田海相の更迭、重臣入閣を指示。
- 東條首相、重臣入閣のため、岸国務相に辞任を求めるが岸は拒否。
- 7月17日
- 7月18日
- 7月20日 - ヒトラー暗殺未遂事件
- 7月21日
- ヒトラー暗殺未遂事件の実行犯クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐らが処刑。
- 米軍、グアム島に上陸。
- 7月22日 - 小磯内閣成立。
- 7月24日 - 米軍、テニアン島に上陸。
- 8月4日 - 閣議、一億国民総武装を決定。
- 8月5日 - 大本営政府連絡会議を廃止し、最高戦争指導会議を設置。
- 8月13日 - 学徒勤労令、女子挺身勤労令公布。
- 8月14日 - 翼賛政治会総裁に小林躋造海軍大将が就任。
- 8月19日 - 最高戦争指導会議、「今後採るべき戦争指導の大綱」を決定。
- 8月24日 - 連合国軍、パリを占領。
- 8月26日 - シャルル・ド・ゴール、パリ入城。
- 8月28日 - 重光葵外相、ハインリヒ・ゲオルク・スターマー駐日ドイツ大使に独ソ和平斡旋を提議(ドイツは9月14日に拒否)。
- 8月29日 - 重要工場に疎開命令。
- 8月 - ウィンストン・チャーチル英首相、ユーゴスラビア訪問、チトーと会談。
- 9月1日 - 政務官制度を復活し、衆議院から19人、貴族院から5人の政務次官、参与官を任命。
- 9月6日 - 重光外相、ヤコフ・マリク駐日ソ連大使に独ソ和平について伝達。
- 9月7日 - インドネシア独立を容認する「小磯声明」を発表。
- 9月9日 - ブルガリアでクーデター。枢軸国から離脱する。
- 9月半ば - 佐賀県の翼賛壮年団、大政翼賛会中央本部と争い脱退。
- 10月14日
- エルヴィン・ロンメル元帥自殺。
- フランクリン・ルーズベルト米大統領、W・アヴェレル・ハリマン駐ソ米国大使を介してスターリンソ連首相に対日参戦を提案[2]。
- 10月18日 - 兵役法施行規則改正公布。満17歳以上の男子を兵役に編入(11月1日実施)。
- 10月20日
- 10月23日 - 農商省、松根油緊急増産対策要綱を発表。
- 10月23日から10月25日 - レイテ沖海戦。
- 10月 - チャーチル英首相、訪ソ。ヨシフ・スターリン首相と会談。
- 11月8日 - 小磯首相、「レイテ島は、まさに天王山であり、勝敗を決する決戦である」との談話を発表。
- 11月9日 - スターリンソ連首相、日本を侵略国家と非難する演説。
- 11月11日 - チャーチル英首相、訪仏。パリでシャルル・ド・ゴール臨時大統領とともに無名戦士の墓に献花。