S型貨物船

S型貨物船
「佐渡丸」
基本情報
船種 貨物船
船籍 大日本帝国の旗 大日本帝国
所有者 日本郵船
運用者 日本郵船
 大日本帝国海軍
 大日本帝国陸軍
建造所 三菱長崎造船所
三菱重工業横浜船渠
母港 東京港/東京都
建造期間 1938年 - 1941年
就航期間 1939年 - 1945年
計画数 7隻
建造数 7隻
前級 A型貨物船
次級 1A型戦時標準船
要目
総トン数 7,100トン - 9,600トン
載貨重量 9,800トン
垂線間長 145.00m
型幅 19.0m
型深さ 12.5m
高さ 28.65m(水面から1番・4番マスト最上端まで)
15.24m(水面から2番・3番マスト最上端まで)
9.44m(水面から船橋最上端まで)
機関方式 ディーゼル機関 2基
推進器 2軸
定格出力 9,600BHP
最大速力 19.5
航続距離 16.0ノットで37,000海里
積載能力 2,950トン
高さは米海軍識別表[1]より(フィート表記)。
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本項でのS型貨物船とは、日本郵船が運航した貨物船のクラスの一つで、1938年(昭和13年)から1941年(昭和16年)の間に三菱長崎造船所と三菱重工業横浜船渠で7隻が建造された。N型貨物船A型貨物船に続く日本郵船における高速ディーゼル貨物船の第三世代のクラスとして建造され、一部は優秀船舶建造助成施設の適用を受けた。世界一周航路などに就航する予定となっていたが第二次世界大戦勃発により果たせず、一部の船は商業航海の機会を得られなかった。太平洋戦争では全船が日本海軍日本陸軍に徴傭され、すべて戦没した。

本項では、主に建造までの背景や特徴などについて説明し、船歴については略歴の形で一覧としてまとめている。単独項目として作成されている船に関しては、そちらも参照されたい。

建造までの背景

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ニューヨーク航路向けのN型貨物船を6隻、欧州航路向けのA型貨物船を5隻建造した日本郵船では、かねてから東西両周りの世界一周航路を計画していた[2]。そこに、海外の船会社との競争のためにその基盤をさらに固める必要性と、ニューヨークおよび欧州各航路向け貨物船のさらなる刷新を狙う意図が組み合わさり、A型貨物船の改良型7隻の建造を計画した[2]。これがS型貨物船である。日本郵船では、N型、A型とS型合わせて18隻で運営する世界一周航路の開設計画を飛躍の第1期に位置付けており[2]、おそらくは続く計画もあったであろうが、整備途上で第二次世界大戦が勃発し、第1期の計画すら実現を見なかった[2]。建造に際しては、「佐渡丸」と「佐倉丸」が優秀船舶建造助成施設の適用を受けて建造されたが、このうち「佐倉丸」は近海郵船の名義で建造された[3]。N型、A型と同様に、船名の頭文字は、すべて「S」からはじまる地名に統一されている。

一覧

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S型貨物船一覧
船名 建造所 起工 進水 竣工 備考・出典
崎戸丸 三菱長崎造船所 1938年4月16日 1938年10月27日 1939年1月20日 [4]
讃岐丸 三菱長崎造船所 1938年8月29日 1939年2月8日 1939年5月1日 [4]
佐渡丸 三菱長崎造船所 1938年10月15日 1939年4月8日 1939年6月30日 [4] 優秀船舶建造助成施設適用
相模丸 三菱長崎造船所→三菱横浜船渠 1939年5月2日 1939年11月27日 1940年7月6日 [4]
相良丸 三菱長崎造船所→三菱横浜船渠 1939年6月23日 1940年3月23日 1940年11月12日 [3][4]
笹子ささこ 三菱長崎造船所→三菱横浜船渠 1940年3月27日 1941年3月13日 1941年6月28日 [3][4]
佐倉丸 三菱長崎造船所 1939年8月5日 1939年12月13日 1940年3月30日 [4] 優秀船舶建造助成施設適用

「相模丸」、「相良丸」および「笹子丸」は、建造所が三菱長崎造船所から三菱横浜船渠に振り替えられた。また、「笹子丸」の読みは、『日本汽船名簿』によれば「ささごまる」ではなく「ささまる」である[5]

特徴・就役

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船型は前級のA型貨物船のうち、「吾妻丸」に似通った遮浪甲板型が採用された。遮浪甲板型の船には減トン甲板口と呼ばれる開口部がある。総トン数算定の際、遮浪甲板と上甲板間の容積をトン数から除外するため設けられるためのものであるが[6]、S型貨物船のうち「崎戸丸」、「讃岐丸」、「相模丸」および「笹子丸」が竣工後に開口部を閉じて総トン数を増加させている。この4隻の1隻あたりの総トン数は9,000トンを超え、太平洋戦争前の日本郵船の貨物船の中でN型、A型はもとよりT型貨物船をもしのいで最も大型の船となった。貨客船以外の日本郵船の所有船のなかでもこれを超えたのは、戦争中に建造された陸軍特殊船の「吉備津丸」(9,575トン)を除くと、1955年(昭和30年)から建造された二代目のS型貨物船まで待たなければならなかった[7]

ディーゼルエンジンは、N型貨物船と同様に建造所が三菱長崎造船所と三菱横浜船渠に分かれた関係で、二系統のエンジンを搭載している。三菱横浜船渠建造分はMAN社系統のエンジンを搭載していたが、三菱長崎造船所建造分は従来のスルザー社系統の機関から脱し、独自開発になるMS型単働式エンジンを搭載した[注釈 1]。エンジンの基数も2基となり、最大出力は1万馬力前後となって20ノットに迫る最高速力を実現した。

S型貨物船各船の竣工時期は第二次世界大戦勃発を挟んでいたため、上述のように予定されていた東西両周り世界一周航路には就けず、従前から開設していた東回り世界一周航路、また南米航路に就航したが、「相良丸」と「笹子丸」は、ついに商業航海の機会を与えられなかった。

S型貨物船7隻は日本陸軍に5隻、日本海軍に2隻が徴傭され、日本海軍徴傭分の「讃岐丸」と「相良丸」は、いずれも特設水上機母艦となった。また、日本陸軍徴傭分の5隻のうち、「佐倉丸」は防空基幹船となった。その「佐倉丸」はバタビア沖海戦時の味方からの誤射で沈没し、「佐渡丸」と「笹子丸」はガダルカナル島の戦いで戦没。「相模丸」と「崎戸丸」は潜水艦の雷撃で沈没した。「讃岐丸」と「相良丸」はのちに特設運送艦に転じたが、いずれも潜水艦の雷撃で失われ、戦争終結後の残存船はなかった。なお、「佐倉丸」は日本郵船が貨物船隊刷新のために建造したN型、A型およびS型を合わせた18隻中の最初の喪失船であり、「讃岐丸」は最後の残存船にあたる。

行動略歴

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崎戸丸 1939年から1941年 東回り世界一周航路[8]
1941年8月15日 ペルー・モエンド沖で座礁した日本郵船「有馬丸」救助のため、現地着[9]
1941年10月9日 「有馬丸」を曳航してカヤオ出港[10]
1941年11月20日 横浜[10]
1941年12月3日 日本陸軍に徴傭[11]
1941年12月8日 シンゴラ上陸作戦[10][注釈 2]
1942年10月12日 ラバウル出撃。第一次ガダルカナル島向け強行輸送[12]
1942年10月14日から15日 ガダルカナル島タサファロングで強行揚陸[13]
1943年1月28日から2月3日 第10船団(幌筵島アッツ島→幌筵島)[14]
1943年3月7日から3月13日 第21船団イ(幌筵島→アッツ島→幌筵島)[15]
1943年3月23日 第21船団ロ加入、幌筵島出撃[16]
1943年3月27日 アッツ島沖海戦により輸送作戦中止[16]
1943年10月30日 上海航路貨客船「上海丸」(東亜海運、5,259トン)と衝突、「上海丸」は沈没[17]
1944年2月29日から3月1日 アメリカ潜水艦「トラウト」の雷撃により沈没。「トラウト」も護衛の駆逐艦「朝霜」の攻撃で沈没[18]
讃岐丸 1939年から1941年 東回り世界一周航路
1941年8月17日 日本海軍に徴傭[19]
1941年9月5日 特設水上機母艦[19]
1941年12月8日 バタン諸島攻略戦[20]
1942年1月 バリクパパン攻略戦[20]
1942年1月27日 バリクパパン沖で爆撃を受け小破[20]
1942年9月24日 ショートランドで爆撃を受け小破[20]
1943年1月 丙号輸送作戦[21][22]
1943年3月21日 アメリカ潜水艦「フィンバック」の雷撃を受け損傷[23]
1943年6月9日から9月24日 三菱長崎造船所で復旧工事と艤装替え工事[19]
1943年12月4日 ケンダリ近海で触雷[24]
1944年12月10日から12月17日 タモ32船団(高雄→門司。戦艦武蔵」生存者便乗)[24]
1945年1月26日 ヒ91船団に加入して門司出港[24]
1945年1月28日 アメリカ潜水艦「スペードフィッシュ」の雷撃を受け沈没[24]
1945年3月10日 除籍・解傭[19]
佐渡丸 1939年から1941年 東回り世界一周航路など[25]
1941年2月8日 日本陸軍に徴傭[26]
1941年12月8日 シンゴラ上陸作戦[27][28]
1942年2月14日 バンカ島ムントク攻略戦[29]
1942年10月12日 ラバウル出撃。第一次ガダルカナル島向け強行輸送[12]
1942年10月14日から15日 ガダルカナル島タサファロングで強行揚陸[13]
1942年11月12日 ショートランド出撃[30]
1942年11月14日 ラッセル諸島沖で爆撃を受け被弾し、ショートランドに反転[31]
1942年11月18日 ショートランドで爆撃を受け横転沈没[32]
相模丸 1940年から1941年 南米西岸航路[33]
1941年9月11日 日本陸軍に徴傭[34]
1941年12月8日 パタニ上陸作戦[27]
1941年12月末 広東[33]
1942年2月18日 マカッサル出撃。バリ島攻略戦[29][35]
1942年2月19日 爆撃を受け中破[35]。アメリカ潜水艦「シーウルフ」の雷撃を受ける[35][36]
1942年10月30日 ダバオ[37]
1942年11月3日 ダバオ湾タロモ沖でアメリカ潜水艦「シーウルフ」の雷撃を受け沈没[38]
相良丸 1941年1月16日から9月11日 日本海軍に徴傭[39]
1941年9月11日 日本海軍に徴傭(裸用船)[19]
1941年9月20日 特設水上機母艦[19]
1941年12月から1942年2月 マレー作戦支援[40]
1942年3月から1942年12月 マラッカ海峡アンダマン諸島方面哨戒[40]
1942年12月1日 特設運送艦[19]
1943年1月 丙号輸送作戦[21][40]
1943年6月23日 アメリカ潜水艦「ハーダー」の雷撃により大破、天竜川河口に座礁[23][6]
1943年7月4日 アメリカ潜水艦「ポンパーノ」の雷撃により損傷[23]
1943年9月1日 船体放棄、除籍・解傭[19]
笹子丸 1941年7月8日 日本陸軍に徴傭[41]
1941年11月5日 門司出港[42]
1941年12月8日 シンゴラ上陸作戦[27][42]
1942年2月18日 マカッサル出撃。バリ島攻略戦[29][43]
1942年3月2日 蘭印作戦[43]
1942年5月25日 武功章授与[44]
1942年10月12日 ラバウル出撃。第一次ガダルカナル島向け強行輸送[12]
1942年10月15日 ガダルカナル島タサファロングで強行揚陸中、爆撃を受けて擱坐[45]
佐倉丸 1940年から1941年 商業航海
1941年1月21日から6月5日 日本陸軍に徴傭[46]
1941年7月12日 日本陸軍に徴傭、防空基幹船に指定[47]
1941年12月8日 コタバル上陸作戦中に爆撃を受け損傷[48]
1942年2月18日 蘭印作戦[49]
1942年3月1日 バタビア沖海戦のさ中に、味方魚雷が命中して横転沈没[50]

要目一覧

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船名 総トン数/ (載貨重量トン数) 全長/垂線間長 型幅 型深 主機/馬力(最大) 最大速力 出典
崎戸丸 9,245 トン
(10,042トン)
147.19 m Lpp 19.0 m 12.5 m 三菱MS型 ディーゼル機関2基2軸
10,989 馬力
19.7 ノット [51]
讃岐丸 9,246 トン
(9,923トン)
147.19 m Lpp 19.0 m 12.5 m 三菱MS型 ディーゼル機関2基2軸
10,858 馬力
19.7 ノット [52]
佐渡丸 7,179 トン
(9,426トン)
146.20 m Lpp 19.0 m 9.80 m 三菱MS型 ディーゼル機関2基2軸
10,614 馬力
19.6 ノット [53]
相模丸 9,264 トン
(9,450トン)
146.20 m Lpp 19.0 m 9.80 m MAN型 ディーゼル機関2基2軸
11,164 馬力
19.8 ノット [54]
相良丸 7,189 トン
(9,482トン)
146.20 m Lpp 19.0 m 9.80 m MAN型 ディーゼル機関2基2軸
10,512 馬力
18.4 ノット [55]
笹子丸 9,258 トン
(9,955トン)
147.19 m Lpp 19.0 m 12.5 m MAN型 ディーゼル機関2基2軸
10,958 馬力
19.8 ノット [5]
佐倉丸 7,170 トン
(9,415トン)
146.20 m Lpp 19.0 m 9.8 m 三菱MS型 ディーゼル機関2基2軸
10,824 馬力
19.5 ノット [56]

脚注

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注釈

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  1. ^ MS型系統のエンジンとしては、A型貨物船が複働式のMSD型エンジンを搭載している。
  2. ^ #駒宮 (1987) p.27 に記載なし。

出典

[編集]
  1. ^ Sakito_Maru_class
  2. ^ a b c d #日本郵船株式会社百年史 p.331
  3. ^ a b c #長澤
  4. ^ a b c d e f g #創業百年の長崎造船所 pp.558-559
  5. ^ a b #日本汽船名簿・笹子丸
  6. ^ a b #郵船戦時上 p.291
  7. ^ #郵船100年史 p.284,370
  8. ^ #中外390822
  9. ^ #郵船戦時上 p.560
  10. ^ a b c #郵船戦時上 p.561
  11. ^ #郵船戦時上 p.563
  12. ^ a b c #駒宮 (1987) p.33
  13. ^ a b #木俣水雷 pp.207-208
  14. ^ #駒宮 (1987) p.59
  15. ^ #駒宮 (1987) p.61
  16. ^ a b #駒宮 (1987) p.62
  17. ^ #上海丸 p.3
  18. ^ #木俣敵潜1989 pp.99-102
  19. ^ a b c d e f g h #特設原簿 p.103
  20. ^ a b c d #郵船戦時下 p.130
  21. ^ a b #木俣軽巡 p.355
  22. ^ #郵船戦時下 pp.130-131
  23. ^ a b c Chapter V: 1943” (英語). The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II. HyperWar. 2012年9月30日閲覧。
  24. ^ a b c d #郵船戦時下 p.131
  25. ^ #郵船戦時上 p.182
  26. ^ #郵船戦時下 p.182,188
  27. ^ a b c #駒宮 (1987) p.27
  28. ^ #郵船戦時上 p.182
  29. ^ a b c #駒宮 (1987) p.29
  30. ^ #郵船戦時上 p.185
  31. ^ #木俣水雷 p.233
  32. ^ #郵船戦時下 p.187
  33. ^ a b #郵船戦時上 p.153
  34. ^ #郵船戦時上 p.156
  35. ^ a b c #郵船戦時上 p.154
  36. ^ #SS-197, USS SEAWOLF, Part 1 p.77
  37. ^ #郵船戦時上 p.155
  38. ^ #郵船戦時上 p.152,155
  39. ^ #郵船戦時上 p.289,291
  40. ^ a b c #郵船戦時上 p.288
  41. ^ #郵船戦時上 p.140
  42. ^ a b #郵船戦時上 p.132
  43. ^ a b #郵船戦時上 p.133
  44. ^ #郵船戦時上 p.131
  45. ^ #郵船戦時上 p.136
  46. ^ #郵船戦時上 p.40
  47. ^ #郵船戦時上 p.37,40
  48. ^ #郵船戦時上 p.38,40
  49. ^ #郵船戦時上 p.38
  50. ^ #郵船戦時上 p.39
  51. ^ #日本汽船名簿・崎戸丸
  52. ^ #日本汽船名簿・讃岐丸
  53. ^ #日本汽船名簿・佐渡丸
  54. ^ #日本汽船名簿・相模丸
  55. ^ #日本汽船名簿・相良丸
  56. ^ #日本汽船名簿・佐倉丸

参考文献

[編集]
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.B10074502600『日華連絡船上海丸遭難ニ関スル件』。 
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C08050081100『昭和十七年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一(上)』、34頁。 
    • Ref.C08050081100『昭和十七年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一(上)』、35頁。 
    • Ref.C08050081100『昭和十七年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一(上)』、36頁。 
    • Ref.C08050081100『昭和十七年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一(上)』、37頁。 
    • Ref.C08050081300『昭和十七年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一(上)』、22頁。 
    • Ref.C08050081300『昭和十七年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一(上)』、23頁。 
    • Ref.C08050081300『昭和十七年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一(上)』、24頁。 
  • 新聞記事文庫(神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ)
  • (issuu) SS-197, USS SEAWOLF, Part 1. Historic Naval Ships Association. https://issuu.com/hnsa/docs/ss-197_seawolf_part1 
  • 三菱造船(編)『創業百年の長崎造船所』三菱造船、1957年。 
  • 財団法人海上労働協会(編)『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、2007年(原著1962年)。ISBN 978-4-425-30336-6 
  • 日本郵船戦時船史編纂委員会『日本郵船戦時船史』 上、日本郵船、1971年。 
  • 日本郵船戦時船史編纂委員会『日本郵船戦時船史』 下、日本郵船、1971年。 
  • 山高五郎『図説 日の丸船隊史話(図説日本海事史話叢書4)』至誠堂、1981年。 
  • 木津重俊(編)『世界の艦船別冊 日本郵船船舶100年史』海人社、1984年。ISBN 4-905551-19-6 
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年。 
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年。ISBN 4-87970-047-9 
  • 財団法人日本経営史研究所(編)『日本郵船株式会社百年史』日本郵船、1988年。 
  • 木俣滋郎『敵潜水艦攻撃』朝日ソノラマ、1989年。ISBN 4-257-17218-5 
  • 木俣滋郎『日本軽巡戦史』図書出版社、1989年。 
  • 正岡勝直「日本海軍特設艦船正史」『戦前船舶』第104号、戦前船舶研究会、2004年、6-91頁。 
  • 林寛司(作表)、戦前船舶研究会(資料提供)「特設艦船原簿/日本海軍徴用船舶原簿」『戦前船舶』第104号、戦前船舶研究会、2004年、92-240頁。 
  • 松井邦夫『日本商船・船名考』海文堂出版、2006年。ISBN 4-303-12330-7 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]

日本郵船の所有船舶 - 昭和初期”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2012年9月30日閲覧。