ウェンディ・ヒラー

ウィキペディアから無料の百科事典

ウェンディ・ヒラー
Wendy Hiller
Wendy Hiller
1939年宣伝写真
本名 Wendy Margaret Hiller
生年月日 (1912-08-15) 1912年8月15日
没年月日 (2003-05-14) 2003年5月14日(90歳没)
出生地 チェシャー州ストックポート・ブラムホール
死没地 ビーコンスフィールド
国籍 イギリスの旗 イギリス
配偶者 w:Ronald Gow(1937 ‐ 1993年)
主な作品
うずまき』(1945年)
受賞
アカデミー賞
助演女優賞
1958年旅路
その他の賞
テンプレートを表示

ウェンディ・ヒラーWendy Hiller, DBE, 1912年8月15日 - 2003年5月14日)は、イギリス出身の女優。

略歴

[編集]

1930年に18歳でマンチェスター・レパートリーに舞台デビューし、その後、ロンドンやニューヨークの舞台でも活躍。

1935年に『悲しき愛』でスターの仲間入りを果たす。翌年、英国に戻りバーナード・ショウの『聖女ジョウン』『ピグマリオン』などの舞台に出演。

1938年に『ランカッシャーの幸運』で、映画デビュー。

1958年の『旅路』でアカデミー助演女優賞を受賞したが、授賞式には出席せず、のちに「名誉なんていらないわ。この賞が換金できればいいのに」とコメントした。

主な出演作品

[編集]
公開年 邦題
原題
役名 備考
1938 ピグマリオン
Pygmalion
イライザ・ドゥーリトル 日本劇場未公開
1945 うずまき
I Know Where I'm Going!
ジョーン・ウェブスター
1951 文化果つるところ
Outcast of the Islands
Mrs. Almayer
1953 たった一人の戦い
Sailor of the King
ルシンダ・ベントリー 日本劇場未公開
1957 黒い牙
Something of Value
エリザベス
1958 旅路
Separate Tables
パット・クーパー アカデミー助演女優賞 受賞
1960 息子と恋人
Sons and Lovers
モレル夫人
1963 欲望の家
Toys in the Attic
アンナ 日本劇場未公開
1966 わが命つきるとも
A Man for All Seasons
アリス・モア
1969 さすらいの旅路
David Copperfield
ミコーバー夫人 テレビ映画
1974 オリエント急行殺人事件
Murder on the Orient Express
ナタリア・ドラゴミノフ公爵夫人
1976 さすらいの航海
Voyage of the Damned
レベッカ
1978 遺言シネマ殺人事件
The Cat and the Canary
アリソン・クロスビー 日本劇場未公開
リチャード二世
King Richard the Second
ヨーク公爵夫人 テレビ映画
1980 ツタンカーメンの呪い
The Curse of King Tut's Tomb
ヴィルマ テレビ映画
エレファント・マン
The Elephant Man
寮母
1981 ミス モリソンの不思議な体験
Miss Morison's Ghosts
ミス・エリザベス・モリソン
1982 メーキング・ラブ
Making Love
ウィニー
検察側の証人
Witness for the Prosecution
ジャネット・マッケンジー テレビ映画
1983 ザ・キングフィッシャー/黄昏に恋して
The Kingfisher
イヴリン テレビ映画
1987 続・赤毛のアン/アンの青春
Anne of Green Gables: The Sequel
マーガレット・ハリス テレビ映画

テレビ

[編集]
放映年 邦題
原題
役名 備考
1959 ヒッチコック劇場
Alfred Hitchcock Presents
ローラ・シドンズ シーズン5 第14話 "Graduating Class"
1988 ダルグリッシュ警視シリーズ5 死の味
A Taste for Death
ウルスラ・ベロウン ミニシリーズ

受賞歴

[編集]

アカデミー賞

[編集]
受賞
1959年 アカデミー助演女優賞:『旅路[1]
ノミネート
1939年 アカデミー主演女優賞:『ピグマリオン
1967年 アカデミー助演女優賞:『わが命つきるとも

ゴールデングローブ賞

[編集]
ノミネート
1959年 助演女優賞:『旅路
1964年 助演女優賞:『欲望の家

ニューヨーク映画批評家協会賞

[編集]
ノミネート
1939年 主演女優賞:『ピグマリオン

脚注

[編集]
  1. ^ ただし、ヒラー本人はこの第31回アカデミー賞の式典に出席しておらず、代理人としてプロデューサーのハロルド・ヘクトが受賞している。

外部リンク

[編集]