グイド・カニャッチ
ウィキペディアから無料の百科事典
グイド・カニャッチ Guido Cagnacci | |
---|---|
カニャッチ作「Marta rimprovera Maria per la sua vanità」 | |
誕生日 | 1601年1月19日 |
出生地 | イタリア、サンタルカンジェロ・ディ・ロマーニャ |
死没年 | 1663年 |
死没地 | オーストリア、ウィーン |
グイド・カニャッチ または グイド・カニャッシ(Guido Cagnacci、後に Guido Canlassiと称した、1601年1月19日 - 1663年)はバロック期のイタリアの画家である。宗教画を描いていたが、40代の後半から官能的な女性を題材に描くようになった。
略歴[編集]
イタリア中部のサンタルカンジェロ・ディ・ロマーニャに生まれた。母親は伝道師の娘で、父親も後に伝道師の仕事をした。1616年頃、絵を学ぶためにボローニャに送られ、ボローニャで、グイド・レーニやグエルチーノ、ルドヴィコ・カラッチのもとで4年間学んだ。
1621年から1622年の間はグエルチーノとともにローマにも滞在した。1623年から1648年の間はロマーニャ地域で働き、有力な聖職者の援助を得て、宗教画を描き、教会の装飾画を描いた。 1628年に裕福な伯爵家の未亡人と恋愛関係になり、庶民と貴族が結婚が許されなかったので、駆け落ちをしようとして失敗し、街を追放になったこともあった。
1643年にフォルリのサンタ・クローチェ聖堂の装飾画を描き、1647年はファエンツァで、有力な貴族スパーダ家(famiglia Spada)のための仕事をした。
1648年、ロマーニャからヴェネツィアに移り、グイド・カニャッシ・ダ・ボローニャ(Guido Canlassi da Bologna)という名前で活動をはじめ、この時から半裸の女性像や官能的な作品を描くようになった。神聖ローマ皇帝レオポルト1世の招きで、1660年頃にウィーンに移った。ウィーンの宮廷で、彼の最も有名な作品である「クレオパトラの死」を描いた。
1663年にウィーンで死去した。
作品[編集]
- 「クレオパトラの死」(1660) ウィーン美術史美術館蔵
- 「クレオパトラの死」(1660) プラド美術館蔵
- 「スザンナと長老たち」
- Gloria di san Mercuriale
- ゴリアテの頭を持つダビデ
- 人生の寓意
参考文献[編集]
- Sandra Vasco: Cagnacci, Guido. In: Alberto Maria Ghisalberti (Hrsg.): Dizionario Biografico degli Italiani. Band 16. Istituto della Enciclopedia Italiana, Rom 1973, S. 296–298 .
- Guido Cagnacci. In: Marco Bussagli, Gloria Fossi, Mattia Reiche: Italian Art. From the Origins to the Present Day. Giunti Editore, Firenze 2004, ISBN 88-09-03726-X, S. 368.